『髑髏城の七人』Season月(下弦の月)_2017/12/25夜

 花鳥風月。最後のチームは若手中心の2チーム制。キャストが発表された際の印象は、もう語弊を恐れず正直に書くが、「マジかよ大丈夫なのかよ」だった*1。第一にそれまでの髑髏城が最高過ぎた。髑髏城は、恰好良い大人の少年ジャンプ、という印象だったから、若髑髏を超える超若髑髏!!とか言われても、「いや別に、それをラストに持ってくる必要はないんじゃないの……」とさえ思った。

 発表された当初はSeason極は明らかにされておらず、花鳥風月の公演を通じて、新しい劇場を使った盛大な集客検分に付き合わされた気分になった。間違いなくわたしの故郷は2.5次元舞台であり、Season月とはつまり、「今流行りの2.5次元が、一体どれだけカネを集められるのか、試してみようじゃあないか」とニヤニヤしているお偉方のしたり顔が透けて見えるようで気持ち悪かった。もしもそれまでと同じような、いわゆる有名どころのキャスティングの中に、2.5次元出身の俳優さんが紛れ込んでいたなら、どれほど嬉しかったか。

 

 けれど結論から言おう。髑髏城は、裏切らなかった。あの回る劇場を、使いこなす演出、より明快になった脚本。『髑髏城の七人』Season月・下弦の月は、これまでの髑髏城を知らない人にこそ観て欲しい作品であったし、なおかつ髑髏城を観ていない若い世代に向けられたものだった。これまでの花・鳥・風は、前作とはここが違うのね、という楽しみがあった。それはある種のノスタルジーであり、髑髏城を観たことがあればあるほど、面白さを増してくれる要素だった。だが月は違う。

 月髑髏は、雲間に忽然と現れる月のように力強く、また大河の流れをものともしない、川面に映る月影のようだった。毎夜浮かぶ月の姿が異なるように、これまでの髑髏城のどれとも違い、それでいてその違いはあくまで太陽の影響であるだけと言うように、紛れもなくそれは髑髏城だった。花・鳥・風を経たからこそのハイブリッド髑髏城。自分と同世代の人間が、数多のベテランが踏み、奮闘した舞台に堂堂と立ち、新たな髑髏城を建設している様は、観ているだけで泣けた。そして作品を託そうと決めてくれたであろう偉い人たちに、もしくは託さなきゃいけない以上は、受け取りやすいようにしてくれた大人たちに、感謝せずにはいられなかった。

 

 一番グッと来たのは、捨之介が天魔王の偽物の鎧を着せられた後、それが主人公補正の強さの一部をちゃんと担う、というところ。捨之介が織田信長の影武者であった点は、今回あまり言及されていなかったように思うが、あの瞬間は、ゾワッと鳥肌が立った。それでこそあの鎧を捨之介に着せた意味がある。

 偽物が本物に打ち勝つ時。本物を失った偽物が、生きるためにはどうするべきか。天魔王と捨之介を分けたものはなにか。つまるところそれは仲間でも胆力でもなくて、過去を捨て生きようという、己自身の意志であるという、大人からの脱却、自立である点が、今回の月髑髏は清々しいほどに明瞭だった。

 

 最近、特定の役者から解き放たれた時に、作品は普遍性を得ると感じるようになった。どの作品の程度が高くて、どれが低いかは決める必要がないと改めて思う。2.5次元原作だから低俗だとか、2.5次元ファンが卑屈になる必要はなく、演じられる劇場の大きさで作品の格が決まるわけではない。作品の普遍性にこそ、眩しいほどのきらめきはきっと宿る。

 いつかは我々も過去になり、現代劇は古典になる。だがいつか遠い未来で、自分と同じようにこの作品に励まされることがあれば、と願えるような作品に出逢えた時。それはとても幸運なことで、そして今、生で観れる機会がある以上、ぜひ劇場で観てもらって、一人でも多くの人の感想を訊いてみたいと思う。

 

 今夜の月は、今年一番大きく見えたらしい。豊洲に昇る月は、千穐楽まで大きくなり続けることだろう。上弦の月も楽しみだが、また当日券に挑んでしまいそうな自分が怖い。

 

*1:

ありがとう2017年、おいでませ2018年

 あけましておめでとうございます。新年を迎え、昨年の観劇記録をさらってみた。ざっと今年の観劇予算の目算を立てたいし、数年以内にNYのブロードウェイに行ってみたいと考えているから、昨年の反省を活かして今年は上手く観劇したいなと考えている。

 一番の反省は、昨年のお正月に立てた「同じ演目の観劇は1回まで」という目標をことごとく裏切る観劇生活をおくったこと。花髑髏なんて9回行った。だが週末は舞台だという心の抜け道があったからこそ、イヤなことにも耐えられた瞬間が数限りなくあった。決して安い趣味ではないが、心の健康維持のために必要だったということにしておこう。

 

 自分でも驚いてしまったのは、とある俳優さんを推すのをやめたのが、つい昨年のお正月のことだったということ。そして新しく応援したい俳優さんに出会えたのも、去年の2月のことで、まあまあ……というかかなりの移り気に笑えて来た。以前のブログに「スキになれるキャパ」について書いた*1が、やはり心のキャパシティというのは限られている。それこそ『SHERLOCK』のシャーロックのように、不要な情報は頭から削除しなくては、精神の宮殿は推しでいっぱいになってしまうだろう。

 

 先日まで放送されていた『監獄のお姫さま』という作品がとても面白かった。それぞれ極悪犯罪者というほどではないが、それなりに罪を背負った女囚のおばさんたちが、冤罪を着せられ刑務所にやって来た「姫」というあだ名の歳下の女の子のために奔走する物語。

 女囚たちの中に一人、「女優」と名乗る登場人物がいた。彼女は若手俳優にハマり、月100万を超える額をその趣味に費やし、最終的には結婚詐欺や横領にまで手を出して、刑務所にいるという設定。彼女がハマった作品は剣道をモチーフにしており、さらには彼女が刑務所でハマっているドラマ番組には黒羽麻璃央さんが出演しているなど、なかなかにこちら側をよく観察した印象だった。そして同時に、自分の後ろをひたひたと付き従っている黒い影にもしも呑まれてしまったら、という最悪の未来を見たようでもあった。

 

 舞台を観ることは会うという行為。これはとある俳優さんが話されていたことで、だからこそ観劇は楽しいし、推したいと思えるし、それがテレビや映画と大きく異なる利点だろうとも思う。その俳優さんの言葉を知るまでは、わたしは推しに「会う」という言葉がものすごく苦手だった。なぜなら舞台やイベントというものは1対複数であり、「会う」という行為には、どうしても相互認知というか、相互に約束を取り付けて、お互いの許諾があってこそ実現できる印象を持っていたからだ。

 演者さんは観客を選べない。わたしたちは観るものを選択できるが、観られる側は、観る人間は選べない。つまりその行為は一方的で、それを相互的に語るのは、ボタンを掛け違えた時のような気持ち悪さを感じていた。だがとある俳優さんが語った、出会えるからこそ我々は、より利便性の高い娯楽よりも、何ヶ月も前から予定を調整し、高いお金を払ってまで舞台を観るのかもしれないという言葉は、説得力があった。けれど未だに、わたしは会ったような「気がする」から観劇は楽しいのだと思っている。ストレートに観劇を、会う行為だとは断言できない。目が合ったような「気がする」から楽しいのであり、もしかしたら日によって演技を変えているような「気がする」から、舞台作品はより鮮烈に観えるのだと思う。舞台とは、作品や役者さんたちと「会うこと」と、受け止める側の人間が強く定義してしまうと、自分の背後の影が濃くなるような感じがする。生身の人間を応援するのは、なかなかどうして業が深い。

 

 つまるところわたしは、自分を応援し切れないから他人を応援しているようなふしがある。誰かを応援できる余裕のある自分がすきだし、会えるという要素に否定的になることで、「理性的なファン」かのような錯覚に酔っている。推しさんには長文の手紙を送り、迷惑かもしれない差し入れを繰り返す時点で、充分理性的ではないにもかかわらず、だ。

 

 誰かやなにかを応援する行為は、一見ものすごく明るい衝動に思える。運動会で我が子を狂ったように応援する親たちの気持ちが、今ならはっきりとわかる。会社や社会という理不尽な世界で生きる大人たちが、走るのが遅いか速いかの単純明快なルール下で起こる競争を応援するのは、かなりのストレス発散になるだろう。しかしながら自分が応援しているのは運動会で奮闘する我が子ではなく、生身の赤の他人であり、せいぜい話せたとしても「お誕生日おめでとうございます!!」「チェキのポーズはハートでお願いします!!」程度の人だ。「リレー頑張ったから今夜はカレーよ!!」と励ませるわけではない。それでも、それでも、舞台上からきらきらと降り注ぐ光と音の波に包まれたくて、今年も劇場に通う日々は続くのだろうと思う。

 

 

2017年に拝見した舞台やイベント。

赤字が昨年に大きく心動かされた作品、かつ誰かに観て頂いて、叶うなら空気の良いカフェで意見交換したかった作品。

☆黒羽麻璃央 オフィシャルサイト発足記念イベント

良知真次 SHINJI RACHI LIVE 【HISTORY ROAD ~COLORS~】

☆生男ch 番外公開放送 ~ALTAR BOYZ -Team GOLD&Team LEGACY~

☆2017年版ミュージカル『手紙』
☆舞台「メサイア-暁乃刻-」

☆ベストオブ・オフブロードウェイミュージカル ALTAR BOYZ 2017 TeamLegacy

☆ベストオブ・オフブロードウェイミュージカル ALTAR BOYZ 2017 TeamGold

☆ベストオブ・オフブロードウェイミュージカル ALTAR BOYZ 2017

 合同スペシャル追加公演

☆内藤大希の秘密の会議室 公開放送 ゲスト大山真志

☆舞台『弱虫ペダル』新インターハイ篇~スタートライン~

☆超歌劇『幕末Rock』黒船来航 BD/DVD発売記念イベント

☆ミュージカル『刀剣乱舞』~三百年の子守唄~

☆ミュージカル「さよならソルシエ」再演

☆ONWARD presents 劇団☆新感線『髑髏城の七人』Season花

☆ミュージカル 王家の紋章

☆黄金週間は?るひまの映画祭!

 『ぼくとしょカウントダウン!』みどりの日上映会

☆ライブ・スペクタクル「NARUTO-ナルト-」~暁の調べ~

☆ミュージカル レ・ミゼラブル
☆ONWARD presents 劇団☆新感線『髑髏城の七人』Season鳥

劇団四季ミュージカル オペラ座の怪人

☆Space Craft ASAKUSA Reginal Theater 『トワイスアップ』

 ~スペースオペラは今はいらない~&大山真志 Special Live

大山真志 生誕!!大山祭2017~Birthday Musical Stage~

☆ミュージカル「しゃばけ」弐~空のビードロ・畳紙~

☆ONWARD presents 劇団☆新感線『髑髏城の七人』Season風

☆Space Craft ASAKUSA Reginal Theater「STAGE秋」 『トワイスアップ』

 ~沈んだ碧は息ができないそんな場所~&大山真志 Special Live

☆PARCO & CUBE 20th peresent 「人間風車

☆PARCO presents 『ロッキー・ホラー・ショー

☆超歌劇『幕末Rock』絶叫!熱狂!雷舞(クライマックスライブ)

☆ミュージカル『刀剣乱舞』~真剣乱舞祭2017~

☆Space Craft ASAKUSA Reginal Theater「STAGE冬」 『トワイスアップ』

 ~自分を偽るそんな夜に本音を語れる雪が降る~&大山真志 Special Live

☆ミュージカル「メンフィス」

☆ONWARD presents 劇団☆新感線『髑髏城の七人』Season月 下弦の月

劇団四季 Disney アラジン

☆ゆく年く・る年冬の陣 師走明治座時代祭

*1:

超歌劇『幕末Rock』絶叫!熱狂!雷舞(クライマックスライブ)

 

 「音楽的青春」。『幕末Rock』において、作詞作曲を数多く手がけられたテルジヨシザワさんが超歌劇雷舞観劇後につぶやいた言葉だ。そう、まさに超歌劇『幕末Rock』は、わたしの観劇人生において代替の効かない青春だった。

 

 2014年の初演千穐楽天王洲銀河劇場に響いた『生きてゆこう』。その音圧が頬を震わせるようだった『LAST SCREAM』。そして作品を象徴する『五色繚乱』。ゲーム、アニメを受けとめ続けていた自分が、初めて作品内に入り込み、そこの一部となった気がした。初演は千穐楽含め二回観劇したが、生であることはここまで色鮮やかで、変化に富み、そして目が離せないことなのかとつくづく驚かされた。

 続く再演。毎日六本木ブルーシアターに足を運び、初めて舞台作品に「全通」した。客席はいつも満席で、少ししつこくなったアドリブシーンに苦笑しながらも、より結束の増したカンパニーの熱情(パッション)と、周りで一緒に楽しむ贔屓・煌(ファン)の熱情に、もう毎日がお祭りのような気分だった。

 今思えばメインキャストの変更なしに再演なんてことは、舞台公演においては奇跡だった。当時のわたしは観劇というハマりたての娯楽に浮かれ、それこそキャスト変更なんてことは考えたこともなかった。再演の千穐楽、なんの前触れもなく劇中歌を歌い出した客席は、本当に超歌劇で描かれる江戸の民のようで、バカみたいに楽しかったのを覚えている。

 再演千穐楽は自分の誕生日だった。作中にも誕生日が近いキャラクターがいて、早めに誕生日祝いをしようというアドリブまであった。まさか自分の誕生日に、だいすきな作品の千穐楽を観て、さらに「ハッピーバースデー」という単語まで聞けるなんて、もう勝手に運命を感じてしまうほどの経験だった。

 2016年、続編の黒船来航公演が発表された。そしてわたしは、ついに、観劇に時間とお金を遣っている人は誰しもが経験するであろう、キャスト変更という壁にぶつかった。

 

 昨日、超歌劇『幕末Rock』は終わりを迎えた。ファイナルと銘打って上演された雷舞(ライブ)公演。楽しかった。楽しかったが、こうも思った。初演と再演の記憶がない状態で、この絶叫!熱狂!雷舞(クライマックスライブ)を観たかった、と。前述した続編・黒船来航公演からは新たに、ペリー・ジュニアというライバルキャラクターが登場した。わたしはこのキャラクターがだいすきで、だからこそ初演・再演を支え続けたキャストとの絡みがどうしても観たくなってしまった。ファイナルならば新旧のキャストが、なんて、無謀な願いをまた叶えて欲しいとさえ思った。

 黒船来航における客席の空席は、再演の夏を共有した仲間たちが、数多く去っていったような気がして悔しかった。それでもわかってしまうのだ。自分だって、龍馬が良知真次さんでなくなったら、間違いなく超歌劇からは離れたか、足が遠のいたと思う。それは新旧キャストのどちらが良いという話ではない。

 

 キャストが変わっても、『幕末Rock』は『幕末Rock』だった。超歌劇は超歌劇で、それでも、わたしの夢中になった超歌劇『幕末Rock』は、もう終わったのだと思った。2015年に終わったんだ、終わったことを認めたくなかったけれど、もうそれもやめよう。昨日の前楽で『五色繚乱』を聴きながら、ただただその現実を俯瞰で見つめるような気持ちになった。

 

 雷舞千穐楽徳川慶喜を演じられたKIMERUさんが、超歌劇『幕末Rock』と出会ってなにか得たものはあった?と客席に尋ねた。得たものしかなかった。初演で生の舞台から差す光に魅了され、再演で同じキャストの進歌を体感できた。初演長州のいない世界もそれはそれで楽しかったが、再演の『生きてゆこう』を今でも覚えている。昨日の劇場を赤く染めた『LAST SCREAM』、涙が溢れて止まらなかった。青春が終わっても人生は続く。音楽とはなんだ?楽しんでいこうぜ。超歌劇『幕末Rock』という作品に出会えたからこそ、今の自分がある。

超歌劇(ウルトラミュージカル)『幕末Rock』公式サイト

今度生まれかわっても、また一緒に、Rockやろうぜ……

 ゲーム、アニメ、そして舞台と、『幕末Rock』という作品の展開の最後として始まったのが超歌劇(ウルトラミュージカル)*1幕末Rock』だ。わたしはそもそも『幕末Rock』のアニメがだいすきで、その流れで超歌劇の初演も観た。ゲーム・アニメ自体、トンデモ豪華キャスティングで展開された作品なので、ぜひたくさんの方に観て欲しいのだが、今日はその舞台について。超歌劇『幕末Rock』が、わたしの観劇ライフの始まりだった。もともと映画や漫画、アニメは浴びるように摂取していたが、舞台となると別だった。超歌劇初演も、1回くらい試しに観ておこうか程度の、ある種怖いもの見たさで足を運んだようなものだった。

 

 初見。KIMERUさん演じられる、徳川慶喜の歌声にビビり倒し、あれは勝てないでしょ……と友人と話したのを覚えている。キャストも格好良かったね、程度の感想しかなく、こういう世界なんだ、としか思わなかった。舞台は駆け足の『幕末Rock』としか感じられず、歯痒い印象だった。けれど、なぜかもう一度観たくなった。当時から、『幕末Rock』は舞台で終わりです!!という公式からの圧は遠回しに伝わって来た。それでもフワフワした状態では『幕末Rock』という作品から離れ難かった。消化不良というか、とにかくこのまま『幕末Rock』とさよならしたくないな、ただその想いから、わたしは銀河劇場へと向かった。

 あと一回観られればいいや、というテンションだったので、前楽から当日券に並んだが、サクっと落選した。銀河劇場からは歩いて帰れるからそのまま帰ることもできたが、友人が駆けつけてくれることになった。なにやってんだ、と思いながらも前楽の間はスタバで時間を潰し、千穐楽の抽選を待った。結局、千穐楽の当日券抽選には、100人以上が並んでいたような気がする。数時間後、わたしは「舞台の千穐楽」という楽しさに初めて圧倒され、隣の見ず知らずのお姉さんと、キャ〜とか言いながら笑い合うなんて、想像もしていなかった。センセー推しだったお姉さん、まだ超歌劇『幕末Rock』を観ているだろうか。

 

 あれから3年。その間にわたしは転職もして、舞台に足繁く通うようになり、3年前とはまったく違うオタク活動をしている。なぜ自分がここまで魅了されるのか、常々考えているのだが、まだ答えは見つからない。見つかってしまえば、もしかしたら趣味としての楽しさは完了してしまうのかもしれないが。

 その間、超歌劇『幕末Rock』は、メインキャストをそのままに、初演をブラッシュアップした再演、メインキャスト変更を経て続編を上演してくれた。舞台作品において我々を悩まし続ける所謂「キャス変」問題をも、超歌劇『幕末Rock』でわたしは初めて学んだ。語弊を恐れず書くが、わたしは初演メンバーがだいすきだった。初演と再演の間で開催された今はもうないパルコでのイベント、目の前にメインキャストがずらりと並び、メインキャストの変更なく再演を告げられた時には、応援していた気持ちが全肯定されたようで、泣きながら拍手したのを覚えている。再演時、初めて「全通」した六本木ブルーシアター。この賛否両論ある劇場も、先日ラスト公演を終えた。たった3年のうちにいろいろなものはめまぐるしく変わっていて、それこそ超歌劇が続いていること自体が奇跡だ。だがどうしてもわたしはキャス変を受け容れられず、再演の円盤は、実は一度しか観ていない。

 

 それでもやはり超歌劇『幕末Rock』が、わたしに舞台を教えてくれた。誰かを「推す」ということ、全通する過酷さ(作品を正しく受け取るための体力的に自分はひ弱だと思い知った)、キャス変がなにをもたらし、なにを奪うのか。舞台の楽しさも、苦しさも、超歌劇『幕末Rock』が教えてくれた。そんな作品が明日、ついにファイナルと銘打って、雷舞(ライブ)公演を始める。楽しみのような、さみしいような。漏れ伝わる大阪公演の情報を読みながら、ついに終わるのだなと思う。

 

 超歌劇『幕末Rock』の煌(ファン)が口を揃えて言う、観客も舞台の一部。あの一体感は、超歌劇でしか得られなかった。舞台の左右にはパトランプがあって、それが光っている間はペンライトを点灯して良い、というのが超歌劇ルール。昨今はペンライトを使用して良い公演が増えたが、作品の一部であることを能動的に始終求められるのは、超歌劇だけだ。燃え盛る炎も、観客が赤いペンライトで演出しなければならないなんて、なかなかに観客への要求が高い舞台だと思う。けれどそれが楽しいのだ。無心にペンライトを振り、舞台上からレスポンスを求められる時、観客であるわたしたちは否応なく超歌劇『幕末Rock』の住人となり、日常からは切り離される。それこそが観劇の醍醐味であり、楽しさを形成するひとつだと思う。つらつら書いたが、超歌劇『幕末Rock』を生で観ずに一生を過ごすのはあまりにもったいないので、ぜひあの熱情(パッション)を劇場で体感して欲しい。楽しいことは保証する。

 

初演がGYAO!(もう『さよならソルシエ』再演配信含めて頭が上がらないです)

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これさえ観れば、あなたも立派な超歌劇民!!

とにかく観るぜよ!!!!

明日から始まる

超歌劇『幕末Rock』絶叫!熱狂!雷舞

(クライマックスライブ)

 

はまだまだチケット発売中!!!!

一緒にRockするぜよ!!!!

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*1:()内が読みがなです。雷舞と書いてライブです

『髑髏城の七人』Season風_2017/11/03千穐楽

 劇場からの帰り道、自宅近くは通り雨に降られた後だった。雨の匂いと濡れた枯れ葉に、捨之介を救うべく沙霧たちが駆け抜けた雨の荒野を思い出した。序盤、観客が捨之介たちとともに初めて無界屋を訪れる時、流れる風景には枯れ葉が舞っていた。風髑髏千穐楽は久し振りに、「帰って来た!!わたしは『髑髏城の七人』に帰って来た!!」と思った。

 あけてすぐに観た風髑髏では、そうは思わなかった。前回の感覚は、小学生の頃に映画『The Lord of the Rings』シリーズを狂ったように観ていたわたしが、『Hobbit』を観てもホビット庄に帰って来た、とは思えなかった感覚に似ている。なにもかもがそっくりではあるが、全然違う場所。それはそれで良いが、今回は髑髏城へ帰って来られたという感覚が嬉しくて、あの序盤過ぎるシーンでちょっと泣いた。

 

 もともと仲の良いカンパニーの雰囲気は、開幕の頃から感じられた。ただ、花髑髏の捨之介・蘭兵衛・天魔王の震えるような三すくみの妙や、鳥髑髏の強烈な個性のぶつかり合いのような、このシーズンだからこそ!!という部分は薄かった。良くも悪くも優等生の髑髏城。だが千穐楽でその印象は完全に払拭された。風に色はない。これまでの髑髏城や、これからの髑髏城までも吹き抜けるような、そんな柔軟で力強い髑髏城になっていた。

 

 そもそも『髑髏城の七人』という作品の公演期間を花鳥風月に分け、さらにそれぞれのシーズンが春夏秋冬に重なるようにしてくれた方々には足を向けて寝られないほど感謝している。『髑髏城の七人』Season風は、秋に観てこそ、そして花も鳥もあの時期に観てこその部分が多いにあったのだと改めて思い知った。花を秋に観ても、鳥を冬に観てもダメだ。つまるところ風髑髏の翌日が偶然満月であるような、そんな現実の季節感までもはらんで眼前に繰り広げられる世界こそ、あの荒野に突如ぽつねんと建ち現れた髑髏城のような劇場に相応しい演出であり作品なのだろう。

 生の舞台を観るということは、上演される劇場とも切り離せはしない行為だ。その点、映画やテレビはある程度観客の自由の幅が広く、『ブレードランナー』の続編は、新宿TOHOシネマズで観たいな、などという観客のセルフプロデュースまで可能だ。しかしながら舞台となると、回る髑髏城が観たければ豊洲へ行くしかない。観客がその劇場を訪れる価値まで付与するような作品づくりというのは、なかなか難しいのだろうと思う(例えばこれを帝国劇場のフルオーケストラで観たいな、と思う作品が多々ある時点で、劇場の場所性とそこで上演される作品の内容が天秤の上で平行な作品は数少ないのではないだろうか)。

 

 千穐楽が特別なのは当たり前だが(新感線ならお煎餅ももらえるし)、開幕直後のお芝居を知っているからこそ、言い回しの微妙な変化や、滑らかになった殺陣に拍手をおくれたことが嬉しかった。上演期間中、同じクオリティのものを提供すべきでは、という気持ちもないわけではない。けれどそもそも舞台を観ることの楽しさには、同じことが一度としてない、という贅沢さも多分に含まれている。自分が目にした回が特別つまらなかったのかもしれないし、特別面白かったのかもしれない。舞台上がどんなに素晴らしくても、隣や前にいる人のせいでメチャクチャになることはよくあるし、それでも安くはないお金を払ってしまうのはなぜなのかと最近よく考える。少なくとも同じ舞台に何度も通いたくなる衝動には、次に観る回は会心の出来の1回かもしれない、という淡い期待があるように思う。

 

 向井屋蘭兵衛さんの殺陣は、正直に言って花・鳥に比べればもの足りなかった。けれど千穐楽で演じ分けられた蘭兵衛と蘭丸を観て、ああ、この蘭兵衛さんは刀を握りたくない人なのだ、と思うことができた。すべての蘭兵衛が同じでないから楽しい。それこそ女蘭兵衛だってまた観てみたいし、もっと「熟成に、熟成を重ねた」蘭兵衛さんだって観たい。

 「無界屋蘭兵衛は死んだ!!」風蘭丸が叫んだその一言は、無界屋蘭兵衛を葬り去って狂喜する蘭丸の独り言のように感じられた。これまでの蘭兵衛さんはいずれも、己のうちにある蘭丸と蘭兵衛を切り離すことに苦労しているように観えた。ああ、風蘭兵衛は違う。まるでジキルとハイドのように、それこそ捨之介と天魔王のように、同じ顔をしてはいるが、まったく別の人なのだと納得できた。

 

 「狸穴二郎衛門を演じました徳川家康です」と千穐楽で挨拶された生瀬勝久さんは、本当に台詞を聴かせる力が強くて、この方の『人間風車』が観たかったなあと帰り道に思ったり。そういえばそこには鳥捨之介がいたなともぼんやり考えた、これは余談。結局、なんだかんだ言って月髑髏も楽しみになっている時点で、もう大人しく豊洲で回る日々を楽しもう。

 昨日見上げた空には、うっすらと秋雲に覆われた向こうに十五夜が淡く光っていて、風が吹いた今夜は、満月が昇っている。

 

楽しいフリをし続けていると楽しいのかもしれない

 2017年ももう残りわずかだ。今年ほど、観劇を趣味にしていて救われた年もないと思うから、年の瀬を前に振り返っておきたい。そしてこれまでの自分の所謂「オタク活動」について、今思い、感じていることを言葉に(ってはてなブログが言ってた)。

 2月。『ALTAR BOYZ』との衝撃的な出会い。TeamGOLDのプレビュー公演は忘れられない。あっという間に貯金はチケットに変わり、寒風吹き荒ぶ新宿歌舞伎町に通った日々は懐かしい。

 3月。『さよならソルシエ』再演に泣いた。円盤化されないことにも泣いている。なぜか今年出会った作品はことごとく映像化が未定で、そのことがブログを綴った要因の一つにもなっている気がする。こぼれ落ちていく記憶を、どうにかして繋ぎ留めたいという思い。

 4月。『髑髏城の七人』Season花。自分が生まれる以前から続いている作品と、こうして出会えた幸運に感謝している。もし7年後に知っていたら、悔やんでも悔やみ切れないだろう。その時ステージアラウンドはもうないのだから。

 

 思えばわたしがTwitterアカウントで交換や譲渡を始めたのは、『うたの☆プリンスさまっ♪』というジャンルにハマっていたからだ。Twitterで譲渡交換、というのは、Twitterアカウントである意味全世界に対してなにかを募集するツイートをし、リプライやDMで諸々お互いの了承が取れると、グッズやチケットを郵送なり手渡しなりでやりとりすることだ。この行為はまったくの非公式なやり方で、素晴らしく気持ちの良い取引(わたしたちはさもそれがビジネス上のものであるかのように振る舞う)の場合も、トンデモ野郎に個人情報を渡してしまうことも、すべては自己責任、である。

 この闇市場のような仕組みを思いついて始めたのは誰なのか知りたいくらいだが、少なくとも4年前くらいにはもう定着していた。その後『仮面ライダー鎧武』『PSYCHO-PASS』など、ジャンルを転々としたわたしは、『幕末Rock』2.5次元舞台作品との出会いを果たした。

 

 人間とは不思議なもので、結局のところスキになれる物事の定量は決まっているようだ。舞台にお金を遣うようになって、自然とアニメグッズからは遠のいた。スキになれる定量は、自分のお財布と連動していると言えなくもないが、正直実生活での恋愛沙汰があった時には舞台もグッズもどうでも良かったので、わたしとしては心のキャパの問題だと考える。

 端的に言えば、自分が現状観劇に費やしている金額は、ある種依存症と言われても仕方のない額だと思う。数ヶ月前からチケットを購入し、絶対に観たい公演なら、仕事だってズル休みする。当日はできるだけ清潔感のある洋服を着ていたいし、応援している俳優さんにはプレゼントだってしたい。観劇の前後には美味しいものを食べたいし、それを写真に撮ってTwitterにアップしたい。とにかく楽しいフリをしたいのだ。毎日の仕事は特に面白いわけでもなく、つい最近片想いは自然消滅したし、自宅に戻れば愛する夫と可愛い我が子がいるわけでもない。いるのはPVCでできた冷たいフィギュアと、ペラペラのブロマイドや塗装が剥がれるアクリルキーホルダーくらいだ。そして誰に向かって楽しいフリをしたいのかといえば、結果的に「自分に向かって」としかいいようがない。これはどのジャンルであろうが、同じようにオタク活動をしていると人たちがよく口にする、この行為は精神安定剤、という言葉に帰結する。スキのキャパは、わたしに必要な精神安定剤の量だ。

 

 最近のオタク女子の典型に漏れず、わたしは『弱虫ペダル』にもハマって、ロードバイクを購入している。ロードバイクに乗っている間は、なぜか「前を向け、遠くを!!」という台詞が頭の中でこだまする。この行為に意味はあるのか、費やした時間とお金はなにをもたらすのか。今のわたしにはわからない。けれど間違いなくこの一年は、劇場に通い、応援している人へ手紙を綴って、客席から拍手をおくるそのひと時が、俯いているわたしを前に向かせ、遠くへと運んでくれたと思う。

『人間風車』_2017/10/09東京千穐楽

 本当はまっさらな状態で臨むべきだったと思うが、怖い怖いと聞いていた『人間風車』、東京千穐楽公演を観てきた。人間性を疑われること覚悟で書くが、全然怖くなかった。強いて言うなら、平川がサムに童話を無理やり聞かせるシーンが怖かった。あと、小杉が平川にお金を貸すシーンと、小杉がアキラに激昂するシーン。ああいう男子って身近にいたし、今までなんとかならないものはなかった系男子、の恐ろしさは、女性なら共感してくれるのではないだろうか。話が逸れた。

 

 なぜ怖くなかったのか。それはあまりにも平川が最初からキレッキレのキャラだったからだ。平川、誰よりも賢そう。平川、サムよりも人を殺せそう。そう、成河さんは上手過ぎるというか、ちょっとあのカンパニーで突出してしまっていた。童話なんて用いなくても充分人を洗脳できそうだし、なんなら全員自分が殺して、その罪を誰かに擦り付けることすら、やってのけてしまいそうに観えた。

 「サム」とはずっと、平川の第二人格なのかと思っていた。親もとい大人に好かれる童話を書け、と言われる平川が創り出した、想像上の「大人のファン」。だから物語をすべて覚えているし、サムのつくったものは平川がつくったものだと疑われる。けれどどうやらそうではないらしいと、アキラの弟云々の箇所で明言されて、それなのに銃で撃たれても死なない「モンスター」になってしまったあたりから、恐怖は一気に虚構じみてしまった。

 

 「殺されるほどの奴じゃない」、小杉という小悪党が死んだ後の台詞が印象的だった。劇中で死ぬ登場人物たちは、誰もが殺されるほどの罪を犯したとは到底思えない。そんな彼らを平川は容赦なく断罪し、サムを使って殺してしまう。平川はみんなが死んでしまってから、生きるしかないと言うが、結局一番恐ろしいのは平川ではないか。彼だけが劇中で唯一、誰の物語にも振り回されない。ただ一度、国尾と小杉の企みに気がつけない以外は。

 要するに平川だけが、メタ的な存在に観えた。平川の機嫌を損ねれば、彼の人生の登場人物たちは否応なしに消去される。しかも平川は、わずかばかりの罪悪感と恐怖を抱くだけで、サムという死刑執行人が動き出す。

 だからラストの悪魔かなにかからの着信は、かなり取ってつけた感があった。電話をかけて来る悪魔というのも緊張感に欠けるし、せっかくあれだけ本当はなにを考えているのかを隠せる平川ならば、メタ的な発言をしても良かったのではないか。純粋で他人を信じやすく、子どもたちがだいすきで、貧乏ながら夢を追いかけている男、という設定ですら、「平川の思い描いた物語」であったとしても今回は良かったのではないだろうか。

 もしそんな人間が現実にいたら。そう、誰かの機嫌を損ねただけで、その人の物語から強制退場を強いられててしまうかもしれない。そんな薄ら寒くなるような感触が、一見人畜無害な平川というキャラクターにはあった。