Rockの絶大なパワーを感じて、星座の輝きを見るまで

 アルターボーイズが帰国してしまった。彼らが新宿FACEを浄化してくれる日が、またいつ来るかはわからない。けれどどうしてだろう、私は明日が来るのが楽しみだ。

 

 3年前、すべての始まりは超歌劇『幕末Rock』初演千秋楽における、良知真次さんだった。『LAST SCREAM』の歌声が、圧倒的な質量をもって自分の頬を震わせたのを今でも覚えている。見切れ万歳の当日券だったが、カーテンコールではキャストさんとハイタッチして、隣の見ず知らずのお姉さんとキャ~と悲鳴を上げたりもした。あの矢田センセー推しのお姉さん、元気にしているだろうか。

  超歌劇のなにが楽しかったかって、千秋楽で作品自体が大きく「化けた」点にある。この人、こんなにカッコ良かったっけ、とずっとときめいてしまえたし、この歌、こんなにサイコーだったっけ、とドキドキした。ストーリーもより簡潔に思えたし、中日に観たそれとは、なにもかもが変わっていた。

 

 それからは「舞台」という表現そのものに魅せられてしまって、もともとハマりやすい性分だったこともあり、趣味のひとつが観劇になった。入口がいわゆる「2.5次元」作品だったために、その系統の作品ばかり観ていたが、良知さんを追いかけていると、帝劇にも世田谷パブリックシアターへも行けた。

 

 そんな中、初めて良知さん以外に目を奪われる俳優さんがいて、その人のことも応援したくなった。その俳優さんを最初に観たのはそこまで大きな舞台ではなかったが、ある作品をきっかけに、彼はあっという間に人気が爆発した。駆け上がって行く姿を観るのは楽しかったし、早い段階で彼を応援しようと思っていたことがなぜだか誇らしかった。芸術家が花開いた時に、ずっと昔から彼の初期作品を自宅に飾っていた人のような気分。そして認められなかった芸術家が、死後認められた時、「父は叔父の才能を早くから信じていました」と語る子孫のような気分だった。

 けれど悲しいかな、私自身も観劇を重ねるうちに情報収集能力が高まって、いろいろなことを知ってしまった。今はもうきりがないから見ないと決めたが、このご時世、プライベートなことは少しずつ漏れ伝わって来る。

 超歌劇の続編が、集客的には振るわなかったこともショックだった。制作でも関係者でもなんでもない私が、なぜそんなことに一喜一憂するのかと言われればそれまでだ。だが早めに仕事を切り上げて座席に着き、ワクワクしながらふと後ろを振り返った時に、誰も座っていない二階席を見るのはしんどかった。

 この景色を、続編まで頑張ってくれたスタッフ・キャストさんたちに見せるのか。やるせない気持ちになった。もっと誰かを誘えば良かった、いやもっと自分がチケットを増やしておけば良かった。今更過ぎて、しかもどうしようもないことを何度も思った。そして千秋楽、舞台に深々と頭を下げた良知さんに、拍手をおくるしかできない無力感に苛まれた。

 どうしてなんだろう。こんなに楽しくて、熱くて、魂を揺さぶられる作品がどうしてもっと評価されないんだろう。どうして私たちが愛した作品は、終わってしまうんだろう。自分の応援が否定されたような気持ちに勝手になって、勝手に落ち込んでいた。そんな時、私は『ALTAR BOYZ』に出会った。

 

 ここでもしなにかあって死んだら、絶対誤解されそうな新宿歌舞伎町の雑居ビル。不思議な甘い匂いのするスモークや、邪魔になるのに買わなくてはならないドリンク。腰が痛くなるパイプ椅子や、切り替える度に大きな音のするピンスポット。今までに体験したことのない状況に囲まれて緊張しながら観た。

 楽しい。底抜けに楽しかった。音楽もストーリーも無駄な瞬間が一切ない。何度観ても発見があるし、何度観てもなにかを取り損なった気がして、帰り道は歌舞伎町の喧騒をものともせずに脳みそがフル回転する。iPhoneに入れたオリジナルキャストの音源を頼りに、なんとか記憶を繋ぎ止めようとするが、あの瞬間をデータのように保存することなんてできないんだと理解してもいた。そしてそれこそが劇場へ来る価値だと、改めて思い知った。

 

 アルターボーイズが救ってくれた。なにも考えずに純粋にその時間に集中できる楽しさを思い出させてくれた。舞台のなにに惹かれ、これまでの3年間、時間を使いたくなったのかがやっとわかった。板の上と客席が曖昧になる瞬間。毎日変わる空気。舞台表現だけが持つこの「変化」にこそ、自分は夢中になっていたんだ。この広過ぎる世界で、たった数時間を劇場にいる人間たちだけで共有する、そんな閉じられた世界に浸る。それを少しずつ噛み砕きながら、また劇場に通う時まで、心の糧にする。それこそが超歌劇以来、自分が一番楽しいと感じていたことだった。

 

 アルターボーイズの再来日は祈るしかできない。けれどあの唯一無二の瞬間の記憶は、私の中で変わり続けながら、輝き続けている。