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絵の具をたくさんありがとう_ミュージカル「さよならソルシエ」

2017/03/20(月・祝)夜_千秋楽_前方センターブロックにて観劇

 

 一番驚かされたのは、平野良さん演じられるフィンの歌声。信じられないほど透明で、力強くて、そして包み込むように優しかった。天才は自分を天才だと気が付かないらしいが、まさに純粋に天才的に絵画と弟を愛した人物をストレートに歌い上げてくださった。終盤、テオ、と呼びかける歌声は初演の時から印象的だったが、今回のそれはあまりに透明で、それでいて透き通った愛に満ち溢れていた。

 次に震えたのは、テオが初演より遥かに「ヒト」として生きていたこと。初演の記憶の中のテオはまるで機械のように振る舞い、兄の前でだけは誤作動を起こすロボットのようだったから。彼が新しい芸術家たちに向けるあたたかい眼差しや、敵対する者たちに対する強張った表情は、初演の氷のようなテオより遥かにわたしの心を強く揺さぶった。

 劇場の違いもあるのだろう、今回は本当になにもかもが「まっすぐ」に伝わって来て、涙も心なしかさらさらと水のように流れた。

 

 なにかを崇拝して、そのなにかが自分に応えたがために壊れてしまった時。その葛藤はふつう、一人の人間の中で起こることだと思う。夢を叶えたは良いものの、その夢の現実に打ちのめされた時。願いが実現して、それまでの犠牲に気付いてしまった時。テオが兄を失った痛みは、わたしたち誰もが、一人の人間としては経験したことがある痛みなのではないだろうか。けれど彼らは、兄弟だった。

 妬み、恨み、嫉妬しながらも、その才能を愛した弟。テオの目線で語られるフィンの姿は確かに天才ではあった。だがわたしは、フィンもまた、ただの兄だったのだと思った。弟の信頼に、期待に、愛に応えただけの兄。

 だから彼らの別離は途轍もなく痛々しいし、この『さよならソルシエ』という、テオの描いた絵の真実を信じたくなってしまう。兄弟とはいえ別々の人間たちが果たしてここまでコインの裏表のようにひとつになれるのか。いや、なれたのだと祈るような気持ちになる。

 

 舞台という表現の性質上、どの公演が素晴らしかったかを断言するのはナンセンス。けれどわたしたち観客は公演ごとの差異に常に目を光らせ、その違いに一喜一憂する。それは確実に、舞台の楽しみ方の一つだとも思う。

 だからこそ再び観られて良かったと思える再演に仕上げてくれた『さよならソルシエ』のスタッフ・キャスト陣には、感謝の気持ちしかない。欲を言えば印刷された絵のサイズが微妙な点や、兄さんが横たわっていたベッドが今時過ぎる点、年老いたテオの指先まで配慮はして欲しかったが、それは最高だったからこその粗探し。再再演があればと願う。

 再演を経てまた初演を振り返りたくなった。初演の円盤を観たら再演も観たくなるのは、最早わたしたちが炎の画家ゴッホの「もしも」の物語を信じていることと同じくらい明らかだ。だからまた必ずアンケートを書く。絵の具をたくさんありがとう、そんな透明で当たり前の気持ちを込めて。

 

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