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ただひとつ、わかったことがあるんだ_ミュージカル「さよならソルシエ」再演配信

 再演千秋楽から1週間程度での配信開始。これからはこれが主流になるのか。「お願いだからブツをくれよ!!マーベラス様!!」と日々呪いの言葉を吐いている。だって配信サイトが潰れたら終わりじゃん。そもそも半年しか楽しめないじゃん。誰かに貸すこともできない。いや、違う、そうじゃない、単純にだいすきな作品に、またもう少しだけお金を払いたいだけだ。だって客席から作品に対してできることは、お金をちゃんと支払うことと、拍手をおくることくらいだから。

 チャプターマークが欲しかったな、とか、そこ切っちゃうんだ、とか、ここは引いて欲しかったな、とかそういう不満がないわけではない(欲を言えば舞台の収録映像は全景も必ず欲しい)。だが観劇における観客の大きなメリットのひとつは視覚の制限が緩いことだから、万人に正解のカメラワークなんて存在し得ない。視覚を意図的に取捨選択できるのが映像の長所であり短所だ。とはいえ配信の画質はなかなかなので、HDMIでテレビ等の大きなモニターに繋いで観るのがオススメです。

 

 さて、再演を繰り返し観ていると、やはり生で観たのとは違う発見がある。その中でも配信で改めて大きく気づかされた点をいくつか書いておきたい。基本的に観劇中は作品に没頭し過ぎて酸欠で偏頭痛になる人間なので、やはり間をあけずに配信してくれるのはありがたい限り(でも配信終了後は円盤にして欲しいな!!どれだけでも待つから!!)。

 まず、フィンセントがテオドルスの名前しか呼んでいない問題。これみんな知ってたの……わたし劇場では全然気がつけなかった……だって再演では、若手画家たちとより親しげで、名前くらい呼び合っていそうな気がしていたから。でも映像で確かめれば、フィンセントが発する名前は、「テオ」の二文字だけ。自分を殴ってくる相手にすら、「テオの知り合いなの?」と問う始末。それで一本のお話が成立してしまうのはとてもすごいことで、そして名前を呼び合いそうだと錯覚させてくれた、平野さんのお芝居もすごい。

 孤独だったのは、本当は誰だったのか。

 

「考えろ 考えろ 考えろ 考えろ 考えろ 考えろ 考えろ 考えろ 考えろ 考えろ 考えろ 考えろ 考えろよ!!」

「芸術に無知、人に無知、すべてに無知」

「あんたみたいにボンクラで 自分のことも 他人のこともわからない」

 そんな風に形容されたフィンは、テオが驚くほどの決意でもって、教会で自ら一度死ぬ。ここの照明、グワ~って感じ(語彙力)だから、ぜひ観て欲しい!!そして3年後、最近よく考える、と手紙に綴ったフィンの結論。

「ただひとつ、わかったことがあるんだ きっと 神様が与えてくれた本当のギフトは、きみだったんじゃないかな」

 確信めいた言葉と笑顔。ただでさえ泣けるシーンなのに、兄さんが考えに考えた結果だったとわかると余計に泣けて仕方がなかった。

 兄さんは、テオよりテオのことを覚えている。だって「兄さん」だから。テオが考えろと叫んだことも、テオと見たあの空のことも、ちゃんと全部覚えている。フィンを生かしているのはテオのようで、本当はテオを生かしていたのはフィンだった。さだめに気づいたのはフィン、死ぬと言ったテオにさだめを与えたのもフィン。だって兄さんだからだ。

 

 これをパチパチ打っているだけで泣けて来るのだけど、本当に再演があって良かった。だいすきな作品がひとつ増えたし、また観てみたいと思う俳優さんがひとり増えた。こうやって、どんどん観たいものは増えて行く。

 

 収録物が生の舞台を超えることはない、とわたしは思っている。だってそれは舞台表現のための作品だから。けれど映像を観ながら、千秋楽のほうが良かったなあ、とか記録と記憶を好き勝手に比較して、自分の記憶をより美しいものにできる。それは収録された舞台映像でしか、得られない楽しみだとも思う。

 

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