『髑髏城の七人』Season花_2017/06/10夜

※ネタバレあり

※台詞は後で戯曲本をもとに修正する予定です

 

 幸運なことに2日連続で観劇した。実は今日の千秋楽も観劇する。本当は迷ったのだが、「自分のすべきことは自分が一番わかっている」という心持ちでチケットを増やした。

 

 さて10日の観劇。かなり泣いてしまった。最後の花ソワレ。天魔王を庇い、蘭兵衛もとい蘭丸は死ぬ。「愚かな奴め」、天魔王はそんな憎まれ口を叩くのだが、その言い方が、形容し難い哀しみに満ちていて、弱々しくて、まるで迷子になって泣いている子供のようだった。今まで誰も信じなかった男が、誰かを信じた男に護られた哀しさ。天魔王は無理やり高く嗤って–というか泣き笑いしたように観えた–髑髏城の奥へと逃げ込む。今にも倒れてしまいそうで、もうなにもしなくったって、彼はそのまま死ぬんじゃないかと感じた。

 

 今の自分の解釈としては、花捨之介は死にたがりの主人公、花蘭兵衛も死にたがりの二枚目、花天魔王はからっぽの命、という印象がある(みんなお姿が二枚目なのは当たり前で、役柄が二枚目だから悔しいくらい格好良いのよ蘭兵衛さん)。けれど天魔王のそもそもの衝動が、正直なところよくわからないのだ。

 天魔王の仮面の扱い方からしても、信長に蘭兵衛ほどの思い入れがあるようには観えず、がらんどうの暗闇、それこそ「からっぽの仮面」という形容が正しい。つまるところ本当に天魔王は「待っていた」のではないか。もし蘭兵衛が天魔王の誘いに乗らなければ、それまで。もし秀吉軍が大挙して攻めてくれば、それまで。英国が約束を破っても、それまで。

 

 だが彼のその虚ろな望みを蘭丸だけは信じる。そしてあろうことか命を救い、天魔王の生に意味を持たせてしまう。なぜか散逸的で、虚無的な印象を受ける彼に、信長と同じ意味を与えてしまうのだ。なのに意味を与えてくれたひとはもうそこにいない。きっと蘭丸に意味を与えてくれたのが信長で、蘭兵衛に意味を持たせたのが無界屋で、捨之介に意味を探させるのが沙霧なら、天魔王に意味を教えたのは蘭丸だ。蘭兵衛は意味を捨て、蘭丸は意味を再燃させ、捨之介は意味を求める。天魔王だけが、自分の手でそれを滅茶苦茶にする。だから泣いているように観える解釈を成河さんが示してくれた時から、天魔王が憐れで、そして哀しい存在と思うようになった。

 逆に蘭兵衛というひとは、つまるところしあわせだったのだろう。なぜなら最後の最期に、意味を取り戻すからだ。劇中で描かれるわけではないが、前日譚として、彼が早々に蘭丸として自分の運命を自覚して、そしてそれが自らを裏切った時でさえ、彼にはちゃんと次の意味が与えられたのだろうという描写はある。からっぽになる瞬間が彼にはなく、かつ選ぶ権利までもが与えられ続けていた。

 「来い、太夫!」蘭兵衛さんは信じられないくらい優しい声でそう言うけれど、わたしとしては許せない。極楽太夫が斃れたその身体をさらに殴ったって、もっとやっちまえ!!と思っている。だってあんまりだ。いろんなひとに意味を与えてやっておきながら、自分だけがすきなほうを選び、すきな時に勝手に退場してしまうなんて。ラストの大回しで彼岸花の中に超美しく佇んでいたって、だまされねえぞ!!でも、だからこそ太夫がその亡骸に泣きついた時、涙が止まらなかった。

 

 きっと、意味を与えてくれたひととの別れはああであるべきなのだろう。なぜ意味を与えてくれたかを理解し、それと決別か享受するかを選ぶ必要がある。太夫が兵庫を受け容れたように。蘭丸と天魔王の別れ方は、はっきり言って最悪だ。名付け親が誕生を祝福するでもなく、いなくなってしまうのだから。

 ラストの360度回転演出の際、初めて天魔王の口元に、うっすらと笑みが浮かんでいるのが観えた。今でもあれを思い出すと鼻の奥がツンとする。偉大過ぎる天を仰ぎ、それを支える振りをしながらもからっぽで、やっと他人の中にも己を見出したひと。きっと天には、彼を待つひとがいるのだろうと思った。