『髑髏城の七人』Season花_2017/06/12千秋楽

 千秋楽。適当な理由をつけて仕事を抜け出し、迷うことなく劇場へ。前回のブログにも書いたが、髑髏城へ行く日はすべからく晴れていて。だから晴れた豊洲しか知らない。これまでの人生で一番、豊洲を訪れていた初夏。

 

 『髑髏城の七人』Season花の最後の日から10日が経った。仕事が忙しかったのもあるが、千秋楽の感想は実はぼんやりとしている。なぜって本当にきっちり、かっちり、まっすぐな千秋楽だったから。今までの最高な部分を切り取って、ラストだけ煎餅まくよ!!というような。ものすごいことを85回も繰り返してくれた人々が行き着いた、ものすごいことを当たり前にやって魅せる、という離れ業。

 

 もうすぐSeason鳥が始まる。これまたワクワクする要素ばかりで、果たしてどんな髑髏城が観られるのか楽しみは尽きないし、きっとまた魅了されてしまうのだろう。けれどやっぱり、わたしの髑髏城はSeason花から始まった。もう少しだけ、残り香を嗅いでいたいと思う。

 

 パッと赤く染まる劇場。ズシリと響くロック。ピタリと訪れる静寂と暗闇とほぼ同時に、僅かに足元が回り始めたのを感じる。墨を垂らしたような映像の後、観えるのは怪しげな仮面を被った、ひとりの人影。忽然と浮かぶ満月を背に、襲いかかる忍たちをやすやすと躱し、ぎらぎらと鋭い鉄扇で侵入者を斃す。ひとりだけ生かした者に告げるのは、「天魔王」の名。仮面の男の高らかな嘲笑は、観客を髑髏城へ引きずり込むかのように響いた。

 まずはここの成河天魔王さまの殺陣!!というか躱し方ですよ奥さん!!何度観ても新鮮!!何度観ても「今、始まりました」感がヤバかった。襲いかかる忍たちの刃をくいっと首を傾げて避ける部分があって、もうその動作が自然かつ必然かつ唐突。良い意味で練習をしていない生の感じがしたのが、成河天魔王さまの芝居だった。突き詰めてしまえば一番ルーティンになってしまいそうな冒頭が、常に不気味で、鮮烈で、恐ろしかった。

 

 「ほっほっほっほっほっ」とゆるゆる登場する捨之介。上手から現れた小栗捨之介さんの、否応なしの主人公感はどこから来るのか。結局千秋楽までその理由はわからなかったし、語彙力のなさに泣けて来るが、「モッてる」という言葉が一番近いような気がしている。

 とはいえワカドクロを観た方の感想や、ご本人のコメントなども読むと、まさに「今度こそ間に合わせる」という雪辱戦が花どくろ。花捨之介はどこまでも優しくて、爽やかで、それでいて淋しげな。奥行きのある良い主人公だった。なにより事前の古田新太さんのインタビューにもあった通り、沙霧との単純な恋愛関係でもなく、それでいて友情とも違う、絶妙な距離感が切なくて美しくて輝いていた。

 捨之介はずっと誰かのために生きている。誰かのために走り、誰かのために戦い、誰かのために笑っている。けれど沙霧を守る時、彼は自分のために動いているように観えた。

 「でもばっかりだなあ!!」ピンチの時に軽口を叩く小栗捨之介さんが、本当に頼もしかった。くるりくるりと相手の剣を受け流し、「小田切三五さんよお!!」と迷う人間を導く捨之介も、「無界屋蘭兵衛!!」と迷った人間をなんとか取り戻そうとする捨之介も、応援せずにはいられなかった。もしも自分が髑髏城の世界で、なにがしかの役割を果たさなくてはならなくなったら。捨之介か沙霧のような生き方をしてみたい、と思わせてしまうのを、きっと感情移入というのだろう。

 

 沙霧のような立場のキャラクターは、時々ちょっと物語に振り回されがちになる。なんでひとりで行っちゃうんだよ、とか、なんでそれを言わないんだよ、とか。けれど清野沙霧ちゃんはそれが皆無。髑髏城へ向かってしまう蘭兵衛さんを追いかける彼女には、お願いだから蘭兵衛さんを止めて!!と願わずにはいられないし、「あたしの庭だ!!」と啖呵をきる沙霧は観ていて心底スカっとした。それにしても沙霧と兵庫と極楽太夫は生きる力が強くて、捨之介・蘭兵衛・天魔王のトリオとこれまた対照的だから作品として美しい。

 

 美しいといえば古田贋鉄斎さん。もうズル過ぎるから今まで言及して来なかったけれど。面白過ぎたし完璧過ぎたし、最高だった!!9回花どくろを観劇して、贋鉄斎のいる場面で笑わなかったことがない。ある時期から、贋鉄斎が髑髏城の階段をわざと猛ダッシュし始めて、もうそれがおかしくておかしくて仕方なかった。それに観客の大多数が気付けばみんなでアハハ、と笑えるのだが、気付かれない時もあって、それでもトライし続けてくれる古田贋鉄斎さんがだいすきだった。

 

 結局、天魔王も蘭丸も、なにがどうあれ長くは生きられなかったような描かれ方をされていたように思う。偉大過ぎる天を振り払い切れなかった彼らは、過去に戻れるわけもなく、そして「戻っちゃいけない」はずだった。本当の意味で三途の河に捨之介、ができればきっともっと人生呼吸がしやすいのだろうが、彼らの性分はそれを絶対に許さないだろう。

 一番長く、死にたがりの捨之介を演っていた方が、あそこまで誰にも振り回されない贋鉄斎を演ってくれた。それって途轍もないことだ。生きにくそうな芝居も、当たり前に生きてる芝居も、そのどちらも面白いなんて。そんな大人、カッコいいに決まっている。いつかもし小栗贋鉄斎さんが観られたらなんて、そんなことを思ったり思わなかったりもした。

 

 「安くはないぞ、天魔王……!!」というお言葉通り、山本蘭兵衛さんがために髑髏城に通ったわたしの今のお財布は、かつてないほどに軽いのだけど。千秋楽までの3日間、連日髑髏城を観た日々は、つまるところ蘭兵衛というキャラクターにますます心惹かれて、そして太夫と一緒に殴りたくなる毎日だった。

 身勝手で、我儘で、それこそ少年のようで、それでいて冷静で、頼り甲斐があって、背中を見ていたくなるような。生の舞台だからこそあの唐突さも必然に思えて、それでも太夫には応えて欲しかったと思わせて。忙しい。蘭兵衛さんを観るのはまっこと忙しい。向こうから提示される情報量が洪水のようで、どの角度から観るのが正しいのかわからなくなってまた観に行きたくなり、どの視点から観てもなにかを取り零したような気分になった。

 もしかするとわたしがすきだったのは、兵庫と太夫だったのかもしれない。彼らが「無界屋蘭兵衛」というひとを愛したからこそ、自分も蘭兵衛の行動に一喜一憂したのかもしれない。けれど天魔王が欲した「蘭丸」の死にも泣きたくなるから、人の男の愚かさを観に行っていたような気もする。「関わらなくても良い縁に拘う」そういう蘭兵衛さんが、一番「ひと」の逃れられない業を現しているようで、魅力的だった。千秋楽も、やっぱり蘭兵衛さんばっかり観てたよ、実際。

 

 こうして書いていると止まらない。だから、これからはゲキシネを待つ旅にするよ。もちろん、鳥も風も月も観に行くのだけれど。

 

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公式サイトには以下の文言が追加されていた。

はい、お楽しみします。

ありがとう花どくろ!!

『髑髏城の七人』Season花
全日程、無事終了いたしました。
皆様、ありがとうございました。
引き続き、Season鳥、Season風、Season月をお楽しみください。