『オペラ座の怪人』_2017/07/23マチネ

 学生時代に映画版を友人と観たのが最初の出会い。もともと宝塚がすきな家庭で育った友人が、映画館からの帰り道に「あたしはやっぱりファントムかな」と言ったのを覚えている。派手めで綺麗な顔立ちをしていた彼女の懐の深さに驚いて、良い奴だな、と思ったのも覚えている。そんな彼女は中学校でいじめの首謀者にされてしまい、当時単身赴任をしていた父親のもとへと転校してしまった。

 

 ずっと舞台版を観たいと思いながらも行けていなかった。今回初めて観た劇団四季のそれは、自然かつ豪華で堂々としていて、日本語でなめらかに歌い上げられる曲の数々をまっすぐに受け取れた。むしろ普通の会話の中に出て来る「エンジェル・オブ・ミュージック」は気になるのに、ひとたび歌われてしまえば、それらは日本語と混ざってもなんの不自然さもなかったからとにかく不思議だった。

 劇場はまさに街灯に薄ぼんやりと照らされたパリの空気をはらんでいるかのうようで、かつて一度だけ旅したパリの街並みが思い出された。オペラ座から歩いて15分程度のホテルに泊まって、いつでも行けるから良いだろうと最終日に訪れたら、まさかのリハーサルで見学できなかったあの黄金の絢爛な劇場。あの場所でもしもあんな物語があったなら。

 

 映画版を観た時には、クリスティーヌってよくわからない女だな、と思ってしまった。その感想は今でも変わらない。だが舞台では、彼女の「ラウルへの」深い愛に感動すると同時に、報われない怪人の叫びが辛かった。別に恋愛関係でなくても慟哭したくなるようなことはたくさんあるし、結局片想いとは、しているほうを怪人にしてしまうような部分がある。そして愛する人を守るためならば、どんな条件だって受け容れる愛。そんな愛をこれからの人生で持ち得るのか、自分の人生を鑑みるに到底そんなことはなさそうで、怪人のようにいなくなりたくもなったのは事実だ。

 けれどとことんロマンチックな物語というのは、結局ロマンチック過ぎるから良いのではないか。例えば熱々のパンケーキに、メープルシロップもバニラアイスクリームものっているから美味しいというような、アイスが溶けちゃうのにのせてしまうその矛盾が美味しいというような、受け手に矛盾を受け止めつつ目の前のしあわせを享受させる力が、愛され続けているミュージカルにはあると思う。

 

 もう「ファントムとラウル、どっちがすき?」というような質問をはしゃいでする年齢でもなくなった。映画も舞台も一人で観に行けるようになったし、一人で観に行くほうが楽というのがわたしにとっては真実だ。けれど劇場からの帰り道、横浜の爽やかな海風を感じながら「わたしはやっぱりラウルかな、子爵だし」という幼い頃から変わっていない答えが浮かんだのは愉快だった。冒頭の友人、有名にはならなかったが夢を叶えてアイドルになった。彼女と映画を観たあの日のことを思い出せたことも、良かったと思っている。