観劇前の戯言として

 今日発表された『髑髏城の七人』Season月のキャスティング。なぜ自分がこんなにもワクワクしないのかを考えた。おかしい。花どくろを観て以来、毎日風どくろと月どくろのキャスティングを考えるだけで楽しかったのに。

 花どくろのライブビューイングで風どくろのキャストが発表された時、わたしは劇場にいた。ぐるりと客席を取り囲むスクリーンに、松山ケンイチさんらそれぞれ衣装を身につけたキャストのみなさんの映像が映って、風もないのに劇場に豪風が吹き抜けたかのようだった。一人二役が帰ってくる。それだけで劇団☆新感線さんと主催側の粋な計らいにワクワクして、なんだか清々しい気持ちになれた。

 

 もともと、わたしを舞台へと導いたのはいわゆる2.5次元作品と呼ばれる作品だった。今から3年前、ゲームとアニメがぶっ飛び過ぎた原作で、これを舞台化するなんて、と興味半分で銀河劇場を訪れたのを覚えている。だがそこで繰り広げられていたのは、原作と同じようにつくり込まれた衣装で歌って踊る俳優さんたちの熱い世界だった。ペンライトをキャラクターのモチーフカラーに合わせて振れと言われて、最初はライブみたいな感じかな、と思っていたが、ライブで振るのとはまた違う楽しさがあった。わたしたちが求められているのは舞台作品世界における「観客」であり、間違いなくペンライトを振っている間は、お芝居に組み込まれてしまうのだ。

 それから3年。最近は舞台化することが最早当たり前のような風潮もあり、そして同時にその流れに辟易している自分もいた。稚拙なパフォーマンスに、仲の良いカンパニーアピール。時折流れてくる若手俳優の炎上ネタ。なんだか時々いたたまれない気持ちになった。

 

 最近、2.5次元出身の舞台俳優さんが、2.5次元でない作品でも多用されることが増えた。友人の推しさんが出るからとつき合ったとあるミュージカル。なぜか2.5次元系の俳優さんが、グッズだけは厚遇されていてよくわからなかった。アクリルキーホルダーやブロマイド。こういうのが好きでしょう、そんな風にこちらを見ている意図を感じた。商売として、売れているものを模倣するのは当たり前のことだが、なぜか悔しかった。

 

 俳優さんを応援する理由ってなんだろう。わたしは、俳優さんのパフォーマンスが観たいからから応援している。応援したいと思うひとは舞台が中心のひとが多いから、身勝手ではあるが舞台に出続けてくれることを望んでいる。舞台出演はテレビで言われるように「下積み」ではないと思うが、嘆かわしいことにこと日本においてはそう捉えられがちなのも知っている。けれど生で観ていたいなあ、そんな気持ちにさせてくれたひとを、テレビで観たひとよりは応援したくなってしまう。

 2.5だからレベルが低い。2.5だから幼稚。そんなことは贔屓目承知で全然ないし、エンターテイメントの優劣ほど、数値化できないことはないと思っている。だが今回のキャスティング発表を受けて、わたしはやはり考えてしまう。沙霧という重要な女性キャラクターが男性になったこと。2.5次元作品で多くのファンを獲得したであろうキャストが、ひとまとめにされていること。そこにまたあの視線を感じてしまう。こういうのが好きでしょう、という、こちらを無遠慮にカテゴライズして上から見降ろすようなあの視線。

 

 『髑髏城の七人』との出会いは、本当に衝撃だった。いつか、わたしが応援している俳優さんがあの作品に出てくれたら。そう願わずにはいられない魅力と、懐の深さを感じた。わたしが勝手に感じている違和感は、感じているほうがおかしいのはわかっている。もしも自分が応援している俳優さんがひとりでもいれば、文句も言わず、チケットの心配をしていただろう。けれどこのザワザワとした気持ちは、これまではなかった。

 観る前の戯言として。そして本当に生で観られるかわからないけれど、ただひたすらに成功を祈りながら。