『髑髏城の七人』Season風_2017/09/17夜

 花に魅せられてから花鳥風月の髑髏城も折り返し、季節は秋になった。台風直撃の関東平野、11回目のステージアラウンド東京。

 風髑髏のPVは、BGMがアカドクロだったということもあり、一人二役も含めてよりアカドクロ的なものになるかと思っていた。花は若髑髏を、鳥はアオドクロを、そして風はアカドクロを踏襲しているような印象だったからだ。だがそもそも月髑髏自体が97年版リスペクト、というわけではないようだから、あくまでPVの音楽だけが歴代髑髏城を遡っているだけなのかもしれない。それでも期待していたのは骨太で無骨な髑髏城だったから、今回の風髑髏は少し肩透かしをくらった気分だ。

 ここからはあくまで初日あけてすぐの感想、として書き残しておこうと思う。わたし自身は、これまでの97年版、アカ・アオドクロ、若髑髏を映像で、花・鳥・風髑髏を劇場で観ている。そのうち若と花が一番すきな人間ということは、最初に明記しておきたいと思う。

 

 なによりも驚いたのは、客席をわずかに回転させることで、映像演出時にものすごい臨場感と、浮遊感が演出されていたこと。これは3回目でなければ観られなかった演出で、いのうえさんの手腕に改めて震えた。鳥までは、あくまで左右の動きに合わせて舞台上に拡がりがもたらされたり、流れて行く映像を読むための横方向の移動が行われていたように感じた。だが今回は回転することで足場が不安定になり、そこから映像に取り囲まれるような錯覚を得られて、とても楽しかった。

 いのうえさんのインタビューにあった通り、

ピンスポットがなかったり、フットライトがなかったり、と、今思い返せばかなり暗い中、花髑髏は展開されていた。今回は天井からの照明が幾筋も左右から重なって、とても美しく演者さんたちを照らしていた。これも回を重ねたからこその演出であり、幾度となく登城したからこそ観えた景色で嬉しくなった。だからこそ、粗が目立っているのかもしれず。

 

 まず一番の問題だと感じたのは、「誰が喋っているのかわからなくなる瞬間」が多々あったこと。特に無界屋のシーンでは、誰がなにを話しているのかわからず、かつ衣装も似ているから、太夫が紛れてしまっていた。荒武者隊に関しても、強烈な個性を発していた一人を除いて区別がし辛く、だからこそ襲撃のシーンは今までで一番客席が放置されてしまった印象受けた。あのシーンまで、その他大勢だった彼らが、死に際でそれぞれの矜持や覚悟を魅せるからあのシーンはより残酷に観えたのではないか。かつそこから、生き残った太夫が、「あたしだけはね」と答えるしかなかった状態から、「あたしも行くよ!!」と再び銃を手に取るから最後の殴り込みがより一層手に汗握るものになっていたと思う。 

 ステージアラウンドの音響に難があるのはわかっている。けれどできれば襲撃のシーンで泣いて、そして再び髑髏城へ向かう彼らに心の中で「頑張れ!!」と叫びたいので、なにかしら変わって欲しいなあと思っている。

 

 次に殺陣。それぞれ違う髑髏城なら、いっそそれまでばっさばっさと人を斬っていた人が、ガラリと変わっていても良かったのではないかと思えた。また襲撃のシーンの話になってしまうが、わたしは服部半蔵が飛び込んで来るシーンがだいすきで、もう若髑髏のあのシーンは何度観たかわからないほどだ。

 花でも蘭丸と半蔵の刃には火花が散るようで、「やるな!!貴様、名は」、の呼びかけにとても重みがあった。半蔵、今来てくれたのは嬉しいけど、遅いよ!!なんでもっと早く来てくれなかったんだよ!!あんたら、みんな一緒だ!!という気持ちにさせてくれたあの殺陣の緊張感があったからこそ、強大な権力をものともせず、改めて「捨之介のために」たった6人で髑髏城へ向かう彼らを応援できた。だが今回はどうしても天魔王と蘭丸が恐ろしくは観えず、たまたま無界屋に入れてくれたからみんなを襲撃した、半蔵も、いよいよ殿が危なくなったから来た、という印象を持ってしまった。半蔵、明らかに手を抜いているでしょ。半蔵なら、この二人をすぐに倒せるでしょ!!と別の感情を抱いてしまった。

 ヒリヒリするようなやりとりを交わしながら天下を争っている人々。天魔王と蘭丸、そして徳川の軍勢はそうであって欲しかった。だからこそそんな彼らを前時代的なもののように扱う兵庫や、「覆い被さっていた天を振りはらってくれた」沙霧がより鮮やかだった。殺陣で示せないなら、中途半端にやらなくて良い。それこそ蘭丸は持っている拳銃や毒霧を吹くとか、そんなトンデモ設定で良かった。とにかく今のままの殺陣では、豊臣軍もとい徳川軍を髑髏党が相手取るなど絵空事に近く、そしてなぜ蘭兵衛が蘭丸に戻らざるを得なかったのかが、結局は不明瞭なままなのだ。

 ただ、一幕最後の魅せ場、蘭兵衛さんが髑髏城へ向かう路は大幅に演出が変わっていて、今までのそれとはまた違った意味で美しかった。歌や映像は少し視線を散らしたかったのかな、と感じたが、斜面を登りきった先にある髑髏城、というのは禍々しくも恐ろしく、そこへ向かう背中がより小さく儚げに観えた。

 

 どうしてこうも要望が噴出するのか。正直、鳥髑髏にはハマらなかった。こういう髑髏城なのかあ〜と思って、劇場で1回、表情を観たくてライビュで1回。それで満足できた。なぜか風髑髏には、こうして欲しい、ああして欲しい、という思いが溢れ出てしまう。どうしてか。自分でもまだよくわかっていない。

 次の風髑髏への登城は千穐楽公演になる。秋も深まり、もう冬という季節だろう。思えば花の時も最初はなんとなく消化不良で、なぜこの作品がここまで人々を魅きつけるのか知りたくて、二度目の観劇で完全にやられてしまった。最後の公演まで、怪我なくカンパニーの成功を祈る。それとともに、なんとなく感じられたカンパニーの仲の良さから、これまでの髑髏城にない風が吹くと信じている。