『髑髏城の七人』Season風_2017/11/03千穐楽

 劇場からの帰り道、自宅近くは通り雨に降られた後だった。雨の匂いと濡れた枯れ葉に、捨之介を救うべく沙霧たちが駆け抜けた雨の荒野を思い出した。序盤、観客が捨之介たちとともに初めて無界屋を訪れる時、流れる風景には枯れ葉が舞っていた。風髑髏千穐楽は久し振りに、「帰って来た!!わたしは『髑髏城の七人』に帰って来た!!」と思った。

 あけてすぐに観た風髑髏では、そうは思わなかった。前回の感覚は、小学生の頃に映画『The Lord of the Rings』シリーズを狂ったように観ていたわたしが、『Hobbit』を観てもホビット庄に帰って来た、とは思えなかった感覚に似ている。なにもかもがそっくりではあるが、全然違う場所。それはそれで良いが、今回は髑髏城へ帰って来られたという感覚が嬉しくて、あの序盤過ぎるシーンでちょっと泣いた。

 

 もともと仲の良いカンパニーの雰囲気は、開幕の頃から感じられた。ただ、花髑髏の捨之介・蘭兵衛・天魔王の震えるような三すくみの妙や、鳥髑髏の強烈な個性のぶつかり合いのような、このシーズンだからこそ!!という部分は薄かった。良くも悪くも優等生の髑髏城。だが千穐楽でその印象は完全に払拭された。風に色はない。これまでの髑髏城や、これからの髑髏城までも吹き抜けるような、そんな柔軟で力強い髑髏城になっていた。

 

 そもそも『髑髏城の七人』という作品の公演期間を花鳥風月に分け、さらにそれぞれのシーズンが春夏秋冬に重なるようにしてくれた方々には足を向けて寝られないほど感謝している。『髑髏城の七人』Season風は、秋に観てこそ、そして花も鳥もあの時期に観てこその部分が多いにあったのだと改めて思い知った。花を秋に観ても、鳥を冬に観てもダメだ。つまるところ風髑髏の翌日が偶然満月であるような、そんな現実の季節感までもはらんで眼前に繰り広げられる世界こそ、あの荒野に突如ぽつねんと建ち現れた髑髏城のような劇場に相応しい演出であり作品なのだろう。

 生の舞台を観るということは、上演される劇場とも切り離せはしない行為だ。その点、映画やテレビはある程度観客の自由の幅が広く、『ブレードランナー』の続編は、新宿TOHOシネマズで観たいな、などという観客のセルフプロデュースまで可能だ。しかしながら舞台となると、回る髑髏城が観たければ豊洲へ行くしかない。観客がその劇場を訪れる価値まで付与するような作品づくりというのは、なかなか難しいのだろうと思う(例えばこれを帝国劇場のフルオーケストラで観たいな、と思う作品が多々ある時点で、劇場の場所性とそこで上演される作品の内容が天秤の上で平行な作品は数少ないのではないだろうか)。

 

 千穐楽が特別なのは当たり前だが(新感線ならお煎餅ももらえるし)、開幕直後のお芝居を知っているからこそ、言い回しの微妙な変化や、滑らかになった殺陣に拍手をおくれたことが嬉しかった。上演期間中、同じクオリティのものを提供すべきでは、という気持ちもないわけではない。けれどそもそも舞台を観ることの楽しさには、同じことが一度としてない、という贅沢さも多分に含まれている。自分が目にした回が特別つまらなかったのかもしれないし、特別面白かったのかもしれない。舞台上がどんなに素晴らしくても、隣や前にいる人のせいでメチャクチャになることはよくあるし、それでも安くはないお金を払ってしまうのはなぜなのかと最近よく考える。少なくとも同じ舞台に何度も通いたくなる衝動には、次に観る回は会心の出来の1回かもしれない、という淡い期待があるように思う。

 

 向井屋蘭兵衛さんの殺陣は、正直に言って花・鳥に比べればもの足りなかった。けれど千穐楽で演じ分けられた蘭兵衛と蘭丸を観て、ああ、この蘭兵衛さんは刀を握りたくない人なのだ、と思うことができた。すべての蘭兵衛が同じでないから楽しい。それこそ女蘭兵衛だってまた観てみたいし、もっと「熟成に、熟成を重ねた」蘭兵衛さんだって観たい。

 「無界屋蘭兵衛は死んだ!!」風蘭丸が叫んだその一言は、無界屋蘭兵衛を葬り去って狂喜する蘭丸の独り言のように感じられた。これまでの蘭兵衛さんはいずれも、己のうちにある蘭丸と蘭兵衛を切り離すことに苦労しているように観えた。ああ、風蘭兵衛は違う。まるでジキルとハイドのように、それこそ捨之介と天魔王のように、同じ顔をしてはいるが、まったく別の人なのだと納得できた。

 

 「狸穴二郎衛門を演じました徳川家康です」と千穐楽で挨拶された生瀬勝久さんは、本当に台詞を聴かせる力が強くて、この方の『人間風車』が観たかったなあと帰り道に思ったり。そういえばそこには鳥捨之介がいたなともぼんやり考えた、これは余談。結局、なんだかんだ言って月髑髏も楽しみになっている時点で、もう大人しく豊洲で回る日々を楽しもう。

 昨日見上げた空には、うっすらと秋雲に覆われた向こうに十五夜が淡く光っていて、風が吹いた今夜は、満月が昇っている。