『髑髏城の七人』Season月(上弦の月)_2018/1/9昼

 年明け最初の髑髏城。これまでは豊洲駅から歩いていたが、気分を変えて新橋方面からゆりかもめでステージアラウンド東京へ向かった。前日は雨、劇場の上に浮かぶ雲が、ミッキーの耳をつけた髑髏のように見えた。

 ……と冷静に感想を綴ろうと思ったが、まったくもって気分がノらないから、正直に書こう。わたしは、月髑髏の脚本・演出で、花髑髏が観たかった。というか、Season極が終わったら、もう一度花鳥風月を一巡、上演して欲しい。だってあまりにも劇場を理解し、客層を理解した豊洲髑髏城がそこにあるからだ。

 

 福士捨之介は爽やかで背が高く、飄々としていて、本当に小栗捨之介を何度も何度も思い出させてくれた。「大した街だよ、実際」と無界屋を噛み締めるように見上げる小栗捨之介は、嬉しそうに、だけど少し痛がるかのように笑っていたっけ。なにもかもが違うのに、かつてそこで演じられていた「捨之介」のことが、次々に胸に浮かんでは消えた。

 三浦蘭兵衛さんに至っては、高身長かつ長男気質、色白でムスっと無愛想な蘭兵衛さん、という時点でもう山本蘭兵衛さんのフラッシュバックの雨あられで、いや、もうやめて!!山本蘭兵衛さんに近しいポイントで攻めてこないで!!チケット売り切れてて本当に良かった……三浦くんって殺陣できるんだ……ディオールのプワゾンを愛用してるんだ……なんだ……なんだそれ反則だろ……山本蘭兵衛さんがかつてバラガキだった時みたいな感じがするんだよ……あいつは悪い男だよ……七年後も蘭兵衛さん演ってください……と、山本蘭兵衛さんにひれ伏した民草は、いずれも観に行って頂きたい蘭兵衛さんだった。

 

 花髑髏の時にも散々このブログに書いたが、そもそも「無界屋蘭兵衛」というキャラクターがわたしはだいすきだ。花髑髏に連行した友人が、山本蘭兵衛さんを「闇堕ちしたブチャラティ」と名付けたが、まさにああいう堅物くんで、自嘲気味な後悔と、己じくじくと蝕むような過去を背負っているところがものすごく切ない。「蘭丸」になってしまってからを、本性や二重人格の一つというように演じられる場合もそれはそれで最高ではある。ただわたしは、欲を言えば「天魔王を選んだ場合の蘭兵衛さん=蘭丸」がどうしようもなく破滅的で愛おしいから、できれば三浦蘭兵衛さんも(そして廣瀬蘭兵衛さんも)、蘭丸は蘭兵衛の延長線で演じて欲しい。だがこれは単純に好みと性癖の問題だとも自覚している。

 

 それにしても上弦のクドキシーンはまさに「陥落」といった趣で、それもまた花髑髏を想起させて辛かった(しドキドキした)。信長と天魔王が同じ顔でない場合には、あのシーンはより説得力を持たせなければ「なんだよチューしちゃうのかよ」となってしまう。だがあの契りで、蘭兵衛が蘭丸に呑まれる、もしくは彼が蘭兵衛であるより蘭丸であることを選んだことが如実に示されると、「お前は無界屋の主人、無界屋蘭兵衛だろうが!!」と脳内で小栗捨之介が叫んでくれるようになるから最高だ。そう、まさにそこにはいないが劇中の人物に近しい心持ちでその光景を受け止められた時、わたしたちは舞台に入り込んだかのような錯覚と、泡立つような高揚感を得る。なぜ蘭丸は、蘭兵衛という自分をも見つけてしまったのか。「無界屋蘭兵衛」というキャラクターの、人物の矛盾した魅力が、眼前に突きつけられるようで楽しいのだ。

 殴りたくなるほどに悔しく、それでいてこうなることをまるで捨之介のように予見し、理解してしまえる。ああわたし、髑髏城を観ているんだな、と思える二幕序盤のクドキは、最早形骸化したといえばそうだが、やはりお約束として欠かせない部分であるように思う。

 繰り返しになるが、山本蘭兵衛さんに夢中になった同志たちは、本当に三浦蘭兵衛さんを観て欲しい。昨年の春に咲き誇り、そして散った花髑髏の残り香は確かにあの回る劇場に染み付いていて、そして「無界屋蘭兵衛」というキャラクターが演じ続けられることの中毒性に酔って欲しい。もしかしたら7年後、我々が未だ知らない誰かが、この役を演じてくれるかもしれないと思える希望。そのワクワク感は、またきっとここを訪れたいと、名残惜しいがさっぱりとした気持ちでディズニーランドから帰る道すがらのようで、存外明るい気持ちだった。

 

 Season極が終わったら、また『髑髏城の七人』を上演してくれないだろうか。無茶な願いとは知りつつも、もういろいろな蘭兵衛さんが観たくて仕方がない。女性の蘭兵衛さんも観てみたいし、花鳥風月、目まぐるしく変わり続けた髑髏城をこうしてここまで観られて、本当に良かった。変わり続けることこそ舞台作品の醍醐味だが、徐々に高くなる日差しを感じながら、もう少しだけ髑髏城にいたいと思う。ここに眠る魔王の魂を鎮めるため、そう語った彼も、実はある種の覚悟を決めたあの場所から、離れ難かったのなら面白い。