『髑髏城の七人』への妄想〜月髑髏終わらないで〜

※キャラクター名や台詞などは後ほど戯曲本から修正予定です

 「無界屋蘭兵衛」「狸穴二郎衛門」。ずっとこの二人の名前が気になっていた。付け焼き刃ながらいろいろと調べたが、なぜ気になるかと言えば、そもそもあの人数の登場人物の中で同じ漢字を当てる時点でなにかしらの意味があるのではないかと勘繰ってしまったからだ。真意のほどはソースが確かでないからさておき、今日もウィキペディア仕立ての妄想と、手前勝手な解釈を綴りたいと思う。

 

 まずこの類の名前はおそらく東百官で、かつては百官名として自らの身分に応じて名乗っていた名前が、いつしか武士階級だけでなく町人・商人にまで広まった経緯を踏まえているように思う。髑髏城の時代設定は戦国末期だが、蘭兵衛さんが「忘八とはいえ商人の端くれ」と言うように、商人としては至極ポピュラーな名付けだったのではないか(例えば時代は下るが江戸商人・職人データベースで「兵衛」と打っただけでかなりの数が見つかる)。併せて興味深いのは、百官名とは諱(真名)を呼ぶのを避けるために用いられた仮名であり、〜之介という名前もまた、仮名の一種の輩行名の代表格らしいということだ。

 

 蘭兵衛・蘭丸、狸穴二郎衛門・徳川家康、の切り替えだけでなく、兵六・兵庫、極楽太夫・りんどう、沙霧(霧丸)・赤針斎と並べるだけでも、『髑髏城の七人』における名前とは、どうやらただの呼び名ではなさそうだ。

 「忍が名を明かす時は死ぬる時」、「こういう時は、ガツンと言ってやるんじゃ、ガツンと!!」の流れも、また名前の力を意識した台詞だと思う。「森蘭丸、その名で朽ちたはずの怨霊だ」「酷過ぎるよ、無界屋蘭兵衛!」「極楽太夫ってのはねえ、地獄に堕ちた男どもを、極楽に送ってやるためにつけたんだ。二人でねえ!!」そのいずれも、登場人物たちが交わす名前がいかに重要であるかを物語っている。蘭兵衛が極楽太夫の本当の名前を識っていたのかはわからず、髑髏城を生き延びた後に初めて、兵六は兄(や父や息子)から兵庫、と呼ばれる。荒武者隊や無界の里の女子たちの大半は死んでからでないとその名前は明かされず、かたや人の男と捨之介に至っては、最後まで本当の名前は明かされない。

 

 名前の力は恐ろしい。「森蘭丸!」と呼ばれて揺らいだ蘭兵衛を、「お前は無界屋の主人、無界屋蘭兵衛だろうが!!」と言って捨之介が一度は彼を取り戻すが、二幕のクドキ以降、それは通じない。「お前はお前だ」と天魔王は言うが、クドキの最中に霧丸が「蘭兵衛!」と呼んでしまうだけで狂ったように苛つき、直後に霧丸を非道く殴ることからしても、あの名前呼びはクドキを大いに破綻させ得る可能性だったのだろう。「こいつらお前の名前も覚えちゃあいねえ!!」と叫ぶ捨之介が、コロコロ名前を変えるな、と贋鉄斎に言われていたのは花髑髏だったか。本編で語られないのは人の男と捨之介の名前だけだ。

 だからこそ彼らは一騎打ちをするのであり、同じ貌であったのだろう。例え織田信長の影武者設定がない時でさえ、彼らの二項対立はその名前を持たない一点で際立つ。あくまで織田信長−逆に彼は名前でしか語られないにも拘らず、あまりにも強い力を持つからこその「天」だ−の一部分だった名前を持たない彼ら。天魔王は殿の名を騙り、捨之介は自ら名乗る。そしてラスト、「柄じゃねえよ!!」と言って去って行く捨之介は、あの後きっと、そう名乗りはしないのだろうという直感がある。「待てよ、捨之介!!」そう呼び掛けられても、彼は振り返らずに走り去る時点で。

 

 さて、調べれば調べるほど妄想のタネは尽きない。昨日初めて知ったが、第六天魔王というのは売り言葉に買い言葉で織田信長が名乗ったという話*1*2もある。焼き討ちとかで恐れられてそう呼ばれていたのかと思ってたのに。自分で名乗っちゃってたのかよ、殿。「そんなのは殿じゃなあああい!!」と言いたくなりつつ、前楽の4.5天斬りと、雪駄ビーサンショックから抜け出せないでいる。終わらないで月髑髏。

 余談だが、「生駒」とは織田信長が愛した側室の名前でもあるそうだ*3。天魔王のために死ぬ彼女がもしも、と思うとまだまだ妄想は終われない。