ありがとうステアラ!!ありがとう劇団☆新感線!!

 夢ならばどれほどよかったでしょう

 未だに豊洲のことを夢にみる

 忘れ物を取りに帰ったなら

 確実に開演には間に合わない

 

 戻らない幸せがあることを

 最後にあなたが教えてくれた

 中古車買えそうなチケット代も

 今にして思えば足りなかった

 

 きっともうこれ以上 観えづらいことなど

 ありはしないとわかっている

 

 あの日のドクロでさえ

 あの日のメタマクさえ

 そのすべてを愛してた ステアラとともに

 胸に残り離れない 寒い塩素の匂い

 雨が降り始めたら目指せ無界の里

 眠ろうキャラメルを歯の裏につけて

 

 

 新年あけましておめでとうございます。昨年も観劇に支えられた一年だった。昨日の『メタルマクベス』disc3大千穐楽がなかなかに感慨深い演出をしてくださったこともあり、2年間を振り返っておきたいと思う。

 ステージアラウンド東京には、2017年は13回、2018年内に18回、合計で31回足を運ぶことができた。もともとわたしは新感線ファンではなく、2017年に大ハマりした舞台『ALTARBOYZ』に出演されていた常川藍里さんの鳥髑髏への出演が、観劇のきっかけだった。鳥髑髏を観るなら花髑髏も観ておこう、そんな軽い気持ちだった。以前書いたブログと重複するが、とにかく「小栗旬山本耕史古田新太?!おトクじゃん(人はなぜTVが初見の芸能人を呼び捨てにしがちなのだろうと常々思う)!!」という淡い期待しかなかった。回転する劇場で酔うのではないか、帰り道に頭痛になるのではないか、今にして思えば瑣末な心配事だけを胸に豊洲から歩いたのを覚えている。

 正直なところ花髑髏の一幕までは、「フ〜ンこういう感じなんだ。みんなカッコイイね」くらいの心持ちだった。確かにタイトルバックは精悍で、本水や回転機構にも驚かされたけれど、心を鷲掴みというほどではなかった。

 だが二幕、まさかの山本蘭兵衛さんが敵方に回り、小栗捨之介は捕えられ、無界の里は焼け落ちてしまった。狸親父と呼ばれていた男があの徳川家康であり、それぞれの闘う理由と再び髑髏城を目指す決意を観て、心の底から「がんばれ〜!!」と思ってしまった。笑って、迫力の殺陣にどきどきして、そして舞台上の「彼ら」に目が釘付けになった。舞台上から押し寄せるお芝居の圧に、浮かび上がる七人のシルエットに、できる限りの拍手をおくった。こんなもの、観たことがなかった。わたしは社会人になってから劇場に足を運ぶようになったために観劇年数はまだ十年にも満たない。けれどこれを見逃してはいけないという勘だけは働いた。そして何度観てもなにかを取り逃がしてしまったような気がして、繰り返し繰り返し豊洲に足を運んだ。

 

 舞台のなにが楽しいかと考える時、それは変わることにあるように思う。他のエンターテイメントと一番違うことは、提供されるものが毎日毎回毎秒違うことだ。帰り道、「きっと今日の捨之介が一番だった」と思わせてくれるからに他ならない。自分が時間とお金を遣い、幸運を携えて勝ち得た座席からの景色を唯一無二の時間にしてくれる。それが他と比べてより優れているということではなく、舞台が持ち得るエンターテイメントとしての強みだと思う。はっきり言って舞台を観ても腹は膨れないし、チケット料金のために腹が空くことのほうが多い。けれど自分が楽しかったなあ、と思える作品に出会えた時の感動は、チケットを購入しようと思った過去の自分に感謝することができ、それこそ観る前と観た後の世界を変えるような力がある。変わるということは、そこに「人間」を感じられると言い換えられるかもしれない。こんな楽しいことが、自分と同じ時刻、空間に立っている人間からこちら側に届くことがあるんだという、生々しく現実味のある感動。それはわたし自身が仕事上他のエンターテイメント業界に足を突っ込んでいることもあり、少し羨ましさや悔しさも孕んだ上で、劇団☆新感線の舞台を観ている間、常に感じることだ。

 

 『メタルマクベス』に関しては語り出すとキリがないが、一番ゾッとしたのは「マクベス夫妻の寝室にあるぬいぐるみ」だ。disc1にはゴリラとウサギのぬいぐるみがベッドに置いてあり、disc2ではキツネだけ、そしてdisc3ではぬいぐるみがなくなっていた。カーテンコールでdisc3の長澤マクベス夫人が「一卵性夫婦」という単語を用いていたが、このぬいぐるみはマクベス夫妻がどれほど相手に依存しているかを示しているように感じられた。

 ぬいぐるみは一見すると子供っぽい、甘える対象のようにも思えるが、一方で相手を置き換えられるくらいそれぞれの個が確立しているかどうかも示していたのではないだろうか。disc1は互いに依存しているのではなく、互いに異なる個々人であるから二人を現したようなぬいぐるみを寄り添うようなかたちで置いておける。disc2は実はマクベスのほうがより夫人に依存しているようにわたしには思え(夫人が彼を必要としなければそもそも将軍にはなれない心根が優し過ぎる男に観えた)、だからこそ夫人だけが「彼」に似たぬいぐるみで彼を俯瞰して見ることができるように感じられた。だがdisc3ではぬいぐるみは消え、寝室には缶ビールが溢れ、キッチンドランカーのように酒をあおる夫人が酒を飲まなくなれば代わりにマクベスが酒をあおるようになるという、結局夫婦の総摂取量は同じでは?という共依存の仕方がぬいぐるみの不在に重なって観えた。替えが効かない鏡写しの小さな人間が、二人になってしまったために大きなことをしでかしてしまって不幸になる。遠い時代の架空の人物の破滅を描いているだけなのに、それでもやっぱりなぜそうなったのだろう、とシェイクスピアから四百年後になった我々が感じたように、何百年後の人類も『メタルマクベス』を観て思うのだろうか。……ここまで書いて、disc1のぬいぐるみがゴリラとウサギだったか正直怪しくなって来たので誰か教えて欲しい……楽しいと大体軽く記憶喪失になるから自分が信じられない……

 

 こうしてすべてのバージョンを観て、一番自分にとってしっくり来た『メタルマクベス』はdisc1だった。そもそも原作の『マクベス』に対してわたしはなぜかマクベス=ベテラン将軍のイメージが強くあって、「ここを逃してしまったら、およそ自分たちが王になることなんて叶わない」という夫妻の共犯関係に根付く根本的な衝動は、若気の至りよりはむしろ長年渦巻いていた野望と不満とわずかな希望が煮詰まり切った結果のように思えていたからだ。あとは単純に好みの問題で、橋本さとしさんと濱田めぐみさんの歌声がだいすきなんだ……千穐楽で一緒に出て来た“じゅんさと”のコンビを観て、当時を知らないのに勝手に胸いっぱいになったりもしたし……

 

 昨日の大千穐楽では、カーテンコール後に花髑髏〜disc3までの走馬灯もといステージアラウンド総集編映像のプレゼントがあった。交通アクセスや座席の視界、トイレ問題など、メチャクチャ快適な劇場とは言い難い劇場だったが、劇団☆新感線のステージアラウンド東京興行を見届けることができて本当によかった。前人未到の試みに、勇気ある一歩を踏み出してくださったスタッフ・キャストのみなさん全員にお餅を差し上げたいくらいだ。そして2年前に花髑髏のチケットを取った自分自身も、「よくやったと褒めて」あげたい。

 

 あんなに側にいたのに

 まるで嘘みたい

 とても忘れられない

 それだけが確か