みんな『メタルマクベス』disc1を観て

 「ドクロの次はメタルが回る!!」そんな新聞広告より先だったか、後だったか。豊洲のステージアラウンド東京で『メタルマクベス』の上演が決まり、わたしは早速ゲキシネ『メタルマクベス』のチケットを取った。

 正直に言って一幕は置いて行かれた感があり、原作のおぼろげな「マクベス」像と物語を照らし合わせては、「舞台本番以外の劇場で、マクベス、の名を言ってしまうと不幸なことが起きるんだよな」とか、「松たか子さんカワイイな〜」「しぇんしぇ〜しゅじゅちゅせんがかえ!?」とか考えていた。髑髏城からまったく学習がないと言うべきだが、その後二幕での盛り上がりと決着、天才と謳われるシェイクスピアの名作が、昭和チックなメタルバンドの小さな結末とリンクして行く物語のうねりに圧倒され、そして涙した。

 内野聖陽さん演じられる「ランダムスター」という男は、特に野心的というわけでも、自分に酔っているわけでも、妻に翻弄され過ぎるわけでもない。それこそ夢破れた数々のバンドのヴォーカリストの最大公約数的な人物だ。それなりに人望もあり、才能もあるが、どこかでなにかを間違えた男。どこかで人生を滅茶苦茶にしてしまった人間。だがそれを、彼は不幸だったと他人が断罪することは決してできない。「ランダムスター」そして「マクベス」が、果たして不幸だったのかは、最後まで誰もが知り得ないことなのだ。

 

 髑髏城から鋼鉄城へと変貌を遂げた回転劇場は、それはそれは派手で豪華でグロテスクで、これは年内にブッ壊れるのでは、と思えるほどに酷使されていた。花髑髏から通い続けている劇場だが、作品ごとに劇場の特性を活かした演出があり、この場所でしか得られない劇場体験という意味では今もっとも衝撃的な作品かもしれない。低い位置での動きが減ったために、客席をぐるりと囲んだ塀のようなもので演者さんの動きが観えないということは大幅に改善された(とはいえ2回目の観劇の際に前方に身長が高い方が座った際には、舞台のほとんどが観えなかった)。

 前置きが長くなったが、とにかく今回のdisc1で伝えたいのは、橋本さとしさんカッコイイ!!ということだ。とにかくカッコイイ。どうしようもなくカッコイイ。初回は7月下旬に観劇し、このまま8月いっぱい走り切るのか……?と不安に思うほど力強くリッチで(この形容詞が正しいかはわからないが、とにかくリッチな感じなのだ)、まさに舞台の中央に立つべき存在感だった。8月に入ってからの観劇で、7月に感じていたものは失礼なほどの杞憂で、よりパワフルにそして哀愁たっぷりに演じられる「ランディー」と「マクベス橋本」には最早、尊さすら覚えている。

 対する濱田めぐみさんは、『王家の紋章』でその歌声に一度圧倒されていたが、その想像をはるかに凌駕していた。登場シーンには、「ミュージカルとしてのグレードが上がった」という、茶化したような台詞があるが、茶化さずにはいられないくらい、彼女の歌声は回転劇場をガッツリ包み込む。ステアラの音響とは……?と、これまで散々絶望してきた劇場機構にさえ希望が持ててしまうから不思議だ。

 橋本じゅんさんは、なぜにあんなに愉快なのか。ランディーに叱られれば、小学校低学年のカブトムシがだいすきそうな少年にしか見えず、物語終盤の魅せ場では、勇猛果敢な「エクスプローラー」にしか観えない。「ランダムスター」および「マクベス橋本」が、本当に地獄の住人になったその時とは、間違いなく親友である「エクスプローラー」もとい「バンクォー橋本」を殺害した瞬間だ。

 二幕にはじゅんさんのソロがあるが、そこでの演出も、極髑髏の発展形が観られる。正直なところ城の描写は視覚情報が多過ぎて、かえって小さな城郭に思えた。もう少し想像の余地があってもと思わなくもないが、ただ、風髑髏で「“風”だ!!これは間違いなくSeason“風”だ!!」と演出による胸の高まりを感じた人間からすれば、間違いなく『メタルマクベス』でもって、ステージアラウンドという劇場の可能性がまた一段階押し上げられた印象を受けた。……というか演出のいのうえさんは、きっとまだ隠し球を持っている。今後のdisc2/3で、また我々がアッと驚くような仕掛けでもって、あのクソ劇場革新的な劇場を、荒廃した未来都市へと変貌させるだろう。

 それにしてもレスポールJr.役の松下優也さんは、数年前のミュージカル『黒執事』の印象があったが、素晴らしく「坊ちゃん」で、かつソロ曲を敢えて1曲にしたあたりが余計に王子感を強めていた。『明けない夜はSo Long』しか、彼の歌声とキレッキレのダンスを見ることはできないから、ファンは絶対通ってしまうだろう。そこまで考慮しての演出かどうかはさておき、間違いなく応援したくなってしまうJr.は、初演の怨み晴らさでおくべきか的なJr.とまた違っていて、マクベス夫人とのラストシーンなどは純な説得力があった。

 

 どうやらチケットの売れ行きは芳しくないらしいが、そもそも最前列だろうが最後列だろうが同じ値段かつ髑髏城より基本的には500円の値上げ、という強気過ぎる券売には、劇場に作品を人質に取られた印象が拭えない。だいたい情報量の少ないPVだけで、一万円以上する舞台にお客が来るとは到底思えない。

 先日WOWOWで放送された花髑髏のライヴビューイングの映像は、音響レベルやカメラワークからしゲキシネのように映像化された価値は感じられないし、このままゲキシネ化されず、あれが花髑髏になってしまったらどうしようと思う。ライビュが我慢できるのは、「同時刻に上演されているものをタイムラグなしに覗き観ているという感覚」があるからで、それを映像作品として観てくれと言われるとがっかりする。だからこそ、それでもとにかく『メタルマクベス』disc1を今のうちに劇場で観て欲しい。クソ座席の関係で舞台の半分が見切れるかもしれない。後方に下がっても良いから座席をかえてくれとお願いしても、本日は満席です、の一点張りかもしれない(ここまで観えないと言われ続けながら、全席完売させてしまう運営には正直呆れる)。「ブランケットを敷いて頂いて……」「いや、そんなことをしたら、今度はわたしの後ろの方が観えなくなりますよね?」というやりとりをさせられるかもしれない(実体験です)。

 けれどそれでも『メタルマクベス』disc1を観て欲しい。千穐楽を迎えてしまえば二度と観ることは叶わない。急に幼児化してキャラメルにはしゃぐランディーも、カールした金髪がウザめなマクベス橋本も、失意の底にありながら夫人の肩をしかと抱き寄せる鋼鉄城の主人も、あとたった数回でいなくなってしまう。今週末が自分にとっては最後のdisc1観劇だ。『髑髏城の七人』Season花からのひよっこ新感線ファンだが、これからも劇団☆新感線を追いかけ続けようと思う。

 明けない夜はない、デス・フォー・ステージアラウンド