『髑髏城の七人』Season月(下弦の月)_2017/12/25夜

 花鳥風月。最後のチームは若手中心の2チーム制。キャストが発表された際の印象は、もう語弊を恐れず正直に書くが、「マジかよ大丈夫なのかよ」だった*1。第一にそれまでの髑髏城が最高過ぎた。髑髏城は、恰好良い大人の少年ジャンプ、という印象だったから、若髑髏を超える超若髑髏!!とか言われても、「いや別に、それをラストに持ってくる必要はないんじゃないの……」とさえ思った。

 発表された当初はSeason極は明らかにされておらず、花鳥風月の公演を通じて、新しい劇場を使った盛大な集客検分に付き合わされた気分になった。間違いなくわたしの故郷は2.5次元舞台であり、Season月とはつまり、「今流行りの2.5次元が、一体どれだけカネを集められるのか、試してみようじゃあないか」とニヤニヤしているお偉方のしたり顔が透けて見えるようで気持ち悪かった。もしもそれまでと同じような、いわゆる有名どころのキャスティングの中に、2.5次元出身の俳優さんが紛れ込んでいたなら、どれほど嬉しかったか。

 

 けれど結論から言おう。髑髏城は、裏切らなかった。あの回る劇場を、使いこなす演出、より明快になった脚本。『髑髏城の七人』Season月・下弦の月は、これまでの髑髏城を知らない人にこそ観て欲しい作品であったし、なおかつ髑髏城を観ていない若い世代に向けられたものだった。これまでの花・鳥・風は、前作とはここが違うのね、という楽しみがあった。それはある種のノスタルジーであり、髑髏城を観たことがあればあるほど、面白さを増してくれる要素だった。だが月は違う。

 月髑髏は、雲間に忽然と現れる月のように力強く、また大河の流れをものともしない、川面に映る月影のようだった。毎夜浮かぶ月の姿が異なるように、これまでの髑髏城のどれとも違い、それでいてその違いはあくまで太陽の影響であるだけと言うように、紛れもなくそれは髑髏城だった。花・鳥・風を経たからこそのハイブリッド髑髏城。自分と同世代の人間が、数多のベテランが踏み、奮闘した舞台に堂堂と立ち、新たな髑髏城を建設している様は、観ているだけで泣けた。そして作品を託そうと決めてくれたであろう偉い人たちに、もしくは託さなきゃいけない以上は、受け取りやすいようにしてくれた大人たちに、感謝せずにはいられなかった。

 

 一番グッと来たのは、捨之介が天魔王の偽物の鎧を着せられた後、それが主人公補正の強さの一部をちゃんと担う、というところ。捨之介が織田信長の影武者であった点は、今回あまり言及されていなかったように思うが、あの瞬間は、ゾワッと鳥肌が立った。それでこそあの鎧を捨之介に着せた意味がある。

 偽物が本物に打ち勝つ時。本物を失った偽物が、生きるためにはどうするべきか。天魔王と捨之介を分けたものはなにか。つまるところそれは仲間でも胆力でもなくて、過去を捨て生きようという、己自身の意志であるという、大人からの脱却、自立である点が、今回の月髑髏は清々しいほどに明瞭だった。

 

 最近、特定の役者から解き放たれた時に、作品は普遍性を得ると感じるようになった。どの作品の程度が高くて、どれが低いかは決める必要がないと改めて思う。2.5次元原作だから低俗だとか、2.5次元ファンが卑屈になる必要はなく、演じられる劇場の大きさで作品の格が決まるわけではない。作品の普遍性にこそ、眩しいほどのきらめきはきっと宿る。

 いつかは我々も過去になり、現代劇は古典になる。だがいつか遠い未来で、自分と同じようにこの作品に励まされることがあれば、と願えるような作品に出逢えた時。それはとても幸運なことで、そして今、生で観れる機会がある以上、ぜひ劇場で観てもらって、一人でも多くの人の感想を訊いてみたいと思う。

 

 今夜の月は、今年一番大きく見えたらしい。豊洲に昇る月は、千穐楽まで大きくなり続けることだろう。上弦の月も楽しみだが、また当日券に挑んでしまいそうな自分が怖い。

 

*1: