ミュージカル『SMOKE』그대 자신을 위조하는 것도 할 만한 일이오

 初日、足早に取引先を後にした。この時間ならぴったり間に合うだろう。自分の完璧なスケジューリングに、心の中で拍手喝采を送った。まだ日が明るいうちに仕事を切り上げたのは久し振りだった。そしてこんなにも待ち遠しく、急くような気持ちで劇場へ向かうのも久し振りだ。ミュージカル『SMOKE』の世界に再び浸れるのが、ただただ嬉しかった。

 初演の浅草九劇よりはるかに大きな空間で、四方囲みから三方囲みになったシアターウェスト。正面下手側の座席から観える舞台は、初演とほぼ同じ道具立てだが、心なしかこじんまりと感じられた。密室のような閉塞感は少なく、だが出口があるようには思えない。

 響き渡る歌声は、もちろん新しく、それでいてこれは間違いなくミュージカル『SMOKE』で、懐かしいのに新鮮で、知っているのに知らないものに聞こえた。とにかくわたしは、できるだけたくさんの人にこの作品を演じて欲しいし、と同時に、できるだけたくさんの人にこの作品を観てもらいたい。まだこの作品を観ていない人が、心底羨ましいほどだ。

 

 一度識ってしまえば忘れられない煙草をはじめとする嗜好品のように、この作品は心の底に棲みつくと観客を捉えて離さない。わたしは中毒患者のように再演に備えているが、結局、この大人版のチケットも増やし続けている。まだこれを知らない人が本当に羨ましくて、わたしはこの作品を観る度に記憶を消してしまいたいくらいだ。ただその一方で、観る度に自分が心打たれる瞬間が変わることにも驚かされている。単純に言ってしまえば、そこに行けば間違いのないレストランで、今日はサラダが特に美味しかった、今日は締めのデザートが一品だった、今日はやっぱりメインが当たりだった、というような感じだ。

 正直、初演で初めて観た際には、わからなかったことがたくさんあったことを憶えている。噛めば噛むほど、ではないが、出会うべきタイミングというのはなににでもあって、わたしはこの作品に出会えたことを感謝している。舞台という代えの効かないものに時間を使うようになってから、幾度となく「もっと早くに出会えていたら!」と後悔したことがある。だがこうして夢中になれる作品と巡り合えると、出会うべき作品とは出会うべき時に出会っているのかもしれないと思える。

 漠然としたことをつらつらと書いたが、ミュージカル『SMOKE』で得られる感動は、言葉にしてしまえば腐ってしまうような類のものだ。そこで取り込めたものは外には出せない。明文化できない歯痒さのかたまり、掴めない煙は、虚像のように今の「あなた」をうつすだろう。初演でわたしはひとりの人間のうちにある生命の輝きを観た。だが今回は、その結末を生命の煌めきとは捉えず、終わりの後の救いのように感じた。ラストナンバーの余韻はきっと観る人の数だけ存在するのだろうし、その違いを許容してくれる作品の普遍性と、多様性を、これからも観続けたいと願う。

 それにしてもこの作品を調べようとすればするほど、己の言語的狭窄を思い知らされる。わたしは学生時代に囓った英語やイタリア語、フランス語へのわずかばかりの理解力に溺れ、隣国の文化を調べることすらできない。言語的距離で言えば、そこははるかに遠い国に思え、時間も空間もはるかに遠いフランスの革命についてならいくらでも識ることができるのに、この国で生き絶えた隣人の文章を原文で読めない。自分がわかっていると思い上がっている世界がどれほど狭く、一面的であるのかを教えてくれたことにも、感謝している。