ミュージカル『SMOKE』_나는 여자도 남자도 아닌 그저 예술가

 千穐楽、5人で歌い上げてくれた『翼(という楽曲らしい、韓国版を観た方のブログなどから知りました)』。天才を夢見た天才の、短か過ぎた人生がもしもこんな希望に溢れたものだったなら、そう願わずにはいられない歌だった。誤解のないよう書くが、5人で歌ってくれたのは千穐楽の挨拶からの延長線で、作品自体は完結した後だったから、本当にファンサービスで行なってくれたのだと思う。

 先日、とある「ファンはファンという身分を得たストーカー」というようなツイートを拝見してから、確かにそうだよなあ、よくよく考えれば異常だよな、と思いながら、ミュージカル『SMOKE』は完全に大山真志さん目当てでチケットを取った。だがこの作品は、正直キャストさんが変わっても観に行きたいと思わせる普遍性を備えていた。舞台上の彼らに共感するために、「海」ほどの境遇や悩みを抱えている必要はなかった。誰しもが一度は思ったであろう「自分は何者で、どこへ行くべきなのか?」という根源的な疑問を、たった一人の内面を描くことで観客に真正面からぶつけてくる。何事も受け取り方は自由だし、好き嫌いも分かれるだろうが、今のわたしには本当に刺さる作品だった。観ていてつらいような胸が締め付けられるような、それでいて充足感と解放感もあって、キャストさんたちが口々に述べたように、言葉にすれば腐ってしまうような感動がそこにあった。

 もっとチケットを増やしておけばよかったとずっと後悔しているが、結局だいすきな作品を満足するほど観られたことはないし、それは永遠に不可能なことなのだろう。たとえ全公演観たとしても、四方囲みの客席に8つの瞳を置いておくわけにはいかないから、すべてを観れたことにはならない。わたし、というか誰しもの心に「超」や「紅」がいて、絶望しかけるたびにああして自分を押し留めてくれているのなら、人間の生命力とは素晴らしいものだなと改めて思えた作品だった。

 

〜ここからは推しさんに対する感想〜

推しさんすごいよかった……ずっと少年のような役柄なのかと思っていたところ、ふと現れる「李箱」や、「超」や「紅」と同じ机を向かい合わせて、鏡合わせの動きをするシーンは二度目、三度目に観た時にアッと気づかされて、気づいてしまうと涙が込み上げた。「超」と「紅」はきっと物語冒頭で語られる「男の子が捨ててしまった袋」なんだろうなあと自分は思っていて、それはある種の病気なのだとしても、肺病のように単純に身体を蝕むものではなくて、むしろ「海」を護ろうとする彼の命のきらめきを観たようだった。

 「紅」をふわりと抱き上げて、星の中で踊る推しさんの横顔を観ていたら、ア〜もう勘弁して〜ずっとこのまま踊っていられたらいいのにね……と思った。「超」との境目が曖昧になって、同じ動きで互いを見つめ合う瞬間の迫力に、こういう高まりを肌で感じられる瞬間のために劇場に通っていると確信を得た。ラスト、拘置所から出て行く「海」の表情は忘れられないし、千穐楽のカーテンコールで、それこそ4人の守護天使のような「海」の心たちに囲まれて、晴れやかな表情で原稿用紙を放り投げた姿に、拍手をおくれて本当によかったと思う。あの『翼』という歌は、別の側面から観れば死期が迫った人間のレクイエムのようでもあるが、自分はあくまでカンタータ的な生命への讃歌と受け取りたかった。

 ミュージカル『SMOKE』は、今のわたしにとっては本当に必要な作品だった。生で観たかった作品は数あれ、やはり出会うべき作品とは出会うべき時に出会っているのかもしれず、その出会いをくれた推しさんには感謝している。本番のそれとはまったく別のものだと理解しつつも、音源として繰り返しあの煙のような世界を感じたいなあと思う。煙草を吸ったことはないけれど、喫煙者の気持ちを初めて理解してしまったかもしれない。飛ぼう、剥製のような人生を。せめて自分たちくらいは、愛してあげよう、自分が紡いだ文章を、自分を。

 

本国版を観劇された方々のブログも、大変興味深く拝読させて頂きました:

 

自分の備忘録として本国版の映像など: