『髑髏城の七人』Season花_2017/04/26昼

 二度目の髑髏城。当日券があまりにも良いお席で、ドキドキしながら入場した。先行を逃した方は、あきらめずに当日引換券へのチャレンジを超絶お勧めする。たった2回の経験談だが、どちらも前方で観ることができた。

 良席に驚き過ぎて、360度回転シアターのくせに350円のあんぱんを買って食べながら深呼吸した。360円にすると、おつりのレギュレーションがメチャクチャ面倒になるから350円なのだろう。ちなみにあんぱんは天下の銀座・木村屋さんで、餡の中に求肥も入っていてとても美味しい。求肥入りをもっとアピールしたほうが良いと思うし、夢見酒入り!!とか言って赤いあんぱんも売れば良いのに、などとくだらないことも考えた。

 

 さて。二度目になれば初回よりはゆったりした気持ちで臨めるかと思いきや、それはやはり無理な話。話の筋が頭に入っているぶん、要所要所にグッと来るシーンが増えた。しかも同じシーンであっても、初見の時とはまったく異なる印象受けるシーンもあって、これだから生の舞台観劇はやめられないと思う。

 

 まずは捨之介。殺陣のキレが増して、飄々とする表情に余裕が増えていた。序盤、雨の中にタイトルが浮かび上がるシーンでは、照明の関係で捨之介の背中に小さな虹が観えた。良い男は振り切れると虹まで出せちゃうらしい。ちょっと憎たらしいくらい格好良くて、それでいてなにもいらない、そしてこれからどうとするわけでもない、という雰囲気が実に爽やかだった。雪駄履きであのアクションの連続。小栗旬さんの足の親指と中指の間の皮膚があまり痛くなりませんようにと願う。

 沙霧。信じられないくらい身軽。アクションの部分や自身が捕まっている部分では、さりげなく周りをフォローしているのも垣間観えた。沙霧はよく刃物を突きつけられるが、上手く切っ先が自分に向くように動き、刃先がぶつかりそうになるのも受け流している。それだけでなく現されている性格にしても、あんなに視野が広くて健気なかわいい女の子って滅多にいない。わたしが捨之介ならきっとずっと見ていたくなる、そんな風に思わせてくれた清野菜名さんには感謝しかない。

 極楽太夫。演技を間近で拝見でき、彼女の人間らしい美しさがより伝わった。そして余計に、蘭兵衛この野郎!!という気持ちが高まった。初登場シーン、花魁姿で無界屋のセットから下を見降ろす太夫は、まるでつくりもののようだが、一度話し始めればくるくると移り変わる表情がとても華やかだった。

 

 今回で大きく変わった印象の一つは、この極楽太夫と蘭兵衛の関係性だ。「決めた男がいる女を口説くなんて野暮はしないぜ」、捨之介の台詞にある通り、最初は彼らをまるで夫婦のような男女の関係だと思った。だからこそ口説きに応じてしまう蘭兵衛はどうしようもなく裏切り者に思えたし、あの場面は太夫と(おこがましいにもほどがあるが生物学上は)同じ「女」として許しがたかった。

 だが今回、無界屋の主人と太夫は、まるで兄妹のように観えた。なにが変わったのか、いやそもそもなにかを変えたのかすら客席からではわからないことだが、二度目の彼らは、プラトニックな関係に思えた。兵庫に対する蘭兵衛は、妹を取られそうになって自らを諌めながらもモヤモヤする兄のようだったし、蘭の花を蘭兵衛に託す太夫も、まるでどこにも行かないでと兄の手を引く妹のようだった。

 さらに口説きの場面では、奈落に引きずり込まれるように夢見酒を「呑まされていた」蘭兵衛が、今回は自ら「呑もう」としているようにも観えた。だからこそ女としての怒りより、仲間としての怒りが勝つ。「馬鹿野郎!」と脳内で捨之介が叫んだし、自分が兵庫なら殴り飛ばしたいだろう。話は逸れるが、これが「キャラが立つ」ということなのかもしれない。どんな場面に対しても、そのキャラクターの反応が想像できてしまう楽しさ。髑髏城は、驚くべきことにそんな登場人物しかいないのだ。結局のところ蘭兵衛に対しても、そうせざるを得なかったと思ってしまう。

 

 二度目の観劇の一番の理由は、山本耕史さん演じられる無界屋蘭兵衛さんをまた観たい!という身も蓋もない衝動。殺陣を間近で拝見すると、それこそ一秒ごとに発見がある。蘭兵衛の殺陣はゆっくりじっくり相手を伺って、無駄なく相手を「斃す」殺陣なのに対し、口説き以降のそれは相手を「殺す」殺陣になっている。かつての仲間たちを殺した後に、忌々しそうに刃先の血糊を袖で拭う彼は、間違いなく人を斬るひと。「なんで!」と叫びたくなる。まるでこれまでの縁を断ち切るように、過去に魅入られた彼はどこまでも虚ろだった。ただし、最期の一瞬を除いては。

 

 前回は観えなかった足さばきもよく観えて、蘭兵衛さんの初登場場面では、優雅に振舞いながらも意外に脚元が池の水で盛大に濡れていた。捨之介とは違う、踏みしめるたびに過去の重さに軋むような蘭兵衛さんが、なにも言わず巡る景色に背を向ける時。二度目だからこそ先がわかって余計に切なかった。あの魅せ方はステージアラウンドの非常に非情に回ってしまう感じをよく現わしている。動き始めた時は、廻り出せば止まらない。蘭兵衛はそれを知りながらも、逆行することを選ぶ。

 

 花髑髏に関しては語り始めるとキリがない。目の前でピタリと止まった成河天魔王のきっちり整った顔が、喋り出せば見る影もなく世の中をせせら笑う男の面のなかに隠れてしまうであるとか。兵庫の台詞回しが進化していて、もう少年漫画のヒーローにしか観えなかったこととか。古田新太さんの贋鉄斎の一人称が「ぼく」なのは、なぜか何度観ても面白いとか。狸軍勢は出て来るのは遅過ぎるが、これぞ時代劇!という鮮やかさがあるとか。

 

 今日も豊洲で誰かが回っていると思うと、なぜだかワクワクする。関東・豊洲の片隅に、突如として現れたあの劇場で、観た人なりの髑髏城が着々と築城され続けているからだ。