『人間風車』_2017/10/09東京千穐楽

 本当はまっさらな状態で臨むべきだったと思うが、怖い怖いと聞いていた『人間風車』、東京千穐楽公演を観てきた。人間性を疑われること覚悟で書くが、全然怖くなかった。強いて言うなら、平川がサムに童話を無理やり聞かせるシーンが怖かった。あと、小杉が平川にお金を貸すシーンと、小杉がアキラに激昂するシーン。ああいう男子って身近にいたし、今までなんとかならないものはなかった系男子、の恐ろしさは、女性なら共感してくれるのではないだろうか。話が逸れた。

 

 なぜ怖くなかったのか。それはあまりにも平川が最初からキレッキレのキャラだったからだ。平川、誰よりも賢そう。平川、サムよりも人を殺せそう。そう、成河さんは上手過ぎるというか、ちょっとあのカンパニーで突出してしまっていた。童話なんて用いなくても充分人を洗脳できそうだし、なんなら全員自分が殺して、その罪を誰かに擦り付けることすら、やってのけてしまいそうに観えた。

 「サム」とはずっと、平川の第二人格なのかと思っていた。親もとい大人に好かれる童話を書け、と言われる平川が創り出した、想像上の「大人のファン」。だから物語をすべて覚えているし、サムのつくったものは平川がつくったものだと疑われる。けれどどうやらそうではないらしいと、アキラの弟云々の箇所で明言されて、それなのに銃で撃たれても死なない「モンスター」になってしまったあたりから、恐怖は一気に虚構じみてしまった。

 

 「殺されるほどの奴じゃない」、小杉という小悪党が死んだ後の台詞が印象的だった。劇中で死ぬ登場人物たちは、誰もが殺されるほどの罪を犯したとは到底思えない。そんな彼らを平川は容赦なく断罪し、サムを使って殺してしまう。平川はみんなが死んでしまってから、生きるしかないと言うが、結局一番恐ろしいのは平川ではないか。彼だけが劇中で唯一、誰の物語にも振り回されない。ただ一度、国尾と小杉の企みに気がつけない以外は。

 要するに平川だけが、メタ的な存在に観えた。平川の機嫌を損ねれば、彼の人生の登場人物たちは否応なしに消去される。しかも平川は、わずかばかりの罪悪感と恐怖を抱くだけで、サムという死刑執行人が動き出す。

 だからラストの悪魔かなにかからの着信は、かなり取ってつけた感があった。電話をかけて来る悪魔というのも緊張感に欠けるし、せっかくあれだけ本当はなにを考えているのかを隠せる平川ならば、メタ的な発言をしても良かったのではないか。純粋で他人を信じやすく、子どもたちがだいすきで、貧乏ながら夢を追いかけている男、という設定ですら、「平川の思い描いた物語」であったとしても今回は良かったのではないだろうか。

 もしそんな人間が現実にいたら。そう、誰かの機嫌を損ねただけで、その人の物語から強制退場を強いられててしまうかもしれない。そんな薄ら寒くなるような感触が、一見人畜無害な平川というキャラクターにはあった。